北海道の歴史・開拓の人と物語

北海道開拓倶楽部

 

 
当サイトのねらい、めざすところを北海道開道開拓に寄せられる一般的な疑問に対する答えとしてまとめました。
 
 

どうしてこのようなサイトをつくったのか?

 近年の北海道開拓をタブー視する、排斥しようとする風潮に強い危機感を覚えました。
 北海道では全国を上回るペースで人口減がすすんでいます。特に郡部での人口減、若年人口の流出が加速しています。人口が半分になっても除雪費は半分になりません。面積の広い北海道で人口減小が進むと、地域振興のリソースが府県以上にインフラ維持に奪われるので、影響はより深刻です。
 アイヌ民族のアイデンティティをもたない道産子の多数は、北海道開拓に関わる父祖の歴史を持っています。そうしたなかで開拓の歴史、家族の歴史が否定され、若い世代に〝このまちを守ろう〟〝このまちで頑張ろう〟という気持ちが高まるでしょうか。若い世代がまちを離れることは、まちづくりや地域振興の担い手を失うことで、人口減小と二重に地域の衰退を進めます。残った者にも、地域の歴史に対する厭世観、将来に対する無関心が高まり、〝今だけがよければよい〟〝自分だけがよければよい〟という刹那主義・利己主義が広まれば地域は活力を失います。( このページをご覧ください
 近年、明治大正期の産業遺産が歴史資源としての価値を高めています。開拓を否定することで、特に人口減少が激しく観光資源に恵まれない郡部から貴重な「まちづくり資源」を奪っていることも問題です。
 歴史を失う者は未来を失うといいますが、北海道開拓の誇りを取り戻すことは、北海道創生の一丁目一番と考えました。
 
 

北海道開拓は侵略ではないか?

アイヌ民族の立場から〝侵略と見る〟ことができるのは理解できます。一方で〝侵略と見ない〟ことも可能です。北海道アイヌ協会は「19世紀当初から20世紀後半まで、日本の中央政権は、アイヌ民族に対し同化政策を押しつけました  [1]」と述べていますが、〝侵略〟とまで言っていません。ところが、北海道開拓はアイヌ民族に対する〝侵略〟であり、北海道は日本の「内国植民地」であるという「侵略史観」が、一部の歴史研究者によって主張されています。その上、北海道開拓を、オーストラリアやニュージーランド、アメリカなどで行われた白豪主義にもとづく凄惨な先住民族迫害と重ねて見てしまう誤解も根深いものがあります。
  北海道開拓を〝侵略〟と断定することは、問題解決のゴールを〝独立〟としてしまうことであり、アイヌ民族を独立運動に追い込むことです。この北海道でアイヌ民族と和人が未来永劫に共存していくためには「侵略史観」を乗り越えていく必要があります。
 

  [1]アイヌ協会HPホーム>アイヌ民族とは>アイヌ民族の歴史 https://www.ainu-assn.or.jp/ainupeople/history.html

 
 

北海道開拓と言えばアイヌの歴史を否定することになるのではないか?


 道内全小中学校に配られる副読本『アイヌ民族:歴史と現在(教師用指導書)37p  [2] 』には「北海道「開拓」と言えば、先住民族であるアイヌ民族の存在を無視した言葉となる」と書いてあります。とんでもないこじつけで、悲しくなります。明治維新と言えば江戸幕府の歴史を否定することになるのでしょうか?
  それでも、北海道開拓によってアイヌ民族が多大な損害を被ったことは事実で、北海道開拓を肯定することはアイヌ民族への迫害を肯定することになる、という主張はあります。たしかに明治政府がとった先住民政策には多くの問題がありました。アイヌ民族の「先住権」を尊重した政策を進めるべきでした。しかし、それは開拓「政策」の誤りと言うべきで、開拓はすべきではなかった、開拓は悪だった、とはなりません。ロシアの脅威が北方から迫っていた19世紀後半に、北海道開拓は必ず行わなければならないものでした。
  アイヌ問題に限らず、北海道開拓を否定的に言う人たちは北海道開拓の功績に目をつむっています。北海道開拓が行われなかったとしたら、間違いなく蝦夷地はロシアのものとなっていたでしょう。そうなっていたら、今の日本は、アイヌ民族はどうなっていたのか──そうした観点からも考えてみるべきです。
 

 [2]公益財団法人 アイヌ民族文化財団HOME>アイヌ文化を学ぶ>文化・歴史>アイヌ民族:歴史と現在 https://www.ff-ainu.or.jp/web/learn/culture/history/files/kyoushi.pdf

 
 

北海道開拓を賛美することはアイヌへの差別を助長するのでは?

 〝障がい者を辛い気持ちにさせるから、健康を賛美するのを止めよう〟という言い方に似て聞こえます。「部落差別」は日本の歴史が生み出したものですが、「部落差別」を無くすために日本史を教えるのを止めよう、日本史を否定しようという声を聞いたことはありません。
  そもそも差別は人間心理、社会心理の複雑な作用によって派生するもので、歴史観だけで解決できるものではありません。「北風と太陽」という寓話がありますが、「歴史の否定」という北風だけで差別解消を図ろうとするとかえって、無関心という差別の土壌を強化してしまう、または反発や反感を呼んでしまう、といった逆効果の方が大きいのではないでしょうか。
  北海道アイヌ協会は「和人とアイヌの不幸な過去の歴史を乗り越え、それぞれの民族の歴史や文化を相互に尊重する多文化主義の実践や人種主義の根絶は、人権思想を根付かせ発展させようとする国連システムの取り組みに符合します[3]」と述べています。「多文化主義の実践」の中には「開拓の歴史の尊重」も入っていなければなりません。
 

 [3]アイヌ協会HPホーム>アイヌ民族とは>アイヌ民族の歴史 https://www.ainu-assn.or.jp/ainupeople/history.html

 
 

開拓の代わりにアイヌの精神や文化を北海道民の誇りにするとよいでは?

 「民族と何か」というところからお答えします。二風谷ダム事件判決で札幌地方裁判所は先住民族を「連続性のある独自の文化及びアイデンティティを喪失していない社会集団である」と定義しました。世界的には「先住民族の権利に関する国際連合宣言」の第33条「先住民族は、自らの慣習および伝統に従って、そのアイデンティティ(帰属意識)もしくは構成員を決定する集団としての権利を有する。このことは、先住民族である個人が、自らの住む国家の市民権を取得する権利を害しない」が先住民族の権利として認められています。
 すなわち、民族とはアイデンティティなのです。
 個人の主観の問題になるとして、アイデンティティを民族の定義とすることに抵抗感を示す人は少なくありませんが、2003年「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」が成立し、男女の性別さえも生物学的に確定できないことが法律で示されました。性別ですらそうなのに、まして民族を外形的に定義できるわけがありません。
 和人である私たちは、アイヌ民族の歴史や文化を学ぶことはできても、それを自分たちのアイデンティティとすることはできません。民族がアイデンティティであるということは、異なる民族の間には必ず受け継げないものがあるということです。そのことを悪く捉えるのではなく、違いを認めた上で、互いが互いを尊重し、理解し合うことが本当の〝共存〟です。私たちは、私たち自身の歴史から〝私たちの誇り〟を見いださなければなりません。
 
 

北海道開拓は、囚人労働タコ部屋労働などを産み出した犯罪ではないか?

タコ部屋労働は北海道の開拓期だけに見られる非人道的な労働で、囚人労働や中国人朝鮮人等の強制連行を含め、多数の犠牲者を出しました。これらは調査が行われたので実態が明らかになっていますが、犠牲になった数としては一般開拓者の方がはるかに多いでしょう。
  こうした多数の犠牲があったから北海道開拓は悪である、北海道開拓は犯罪である、とはなりません。日本が存立していくために、善悪の批判を受けたとしても、痛ましい犠牲が発生したとしても、進めなければならないものだったのです。その結果として、今の豊かで美しい北海道があります。この成果を見ないで裏面だけを見て否定するのは正しくありません。
  そもそも、北海道開拓を犯罪行為としてしまえば犠牲者は報われません。多くの犠牲の上に今の北海道があることを思えば、むしろ私たちは今以上に「開拓」に感謝しなければならないと思います。
 
 

官主導で行われた北海道開拓は、道民の中央依存の根源と思うが

世界には北海道程度の極寒地域、豪雪地帯はありますが、北海道ほどの極寒豪雪地帯は珍しく、さらに500万を超える人口を養えている地域は北海道だけです。その開拓が現地のことを知らない官僚のデスクワークに従って易々と行われたと考えるのは実態を知らなすぎです。
  官僚の机上の空論を多大な犠牲を払いながら現地でアジャストしていったのは開拓者それぞれの創意と努力です。依存心の強い入植者では北海道の苛酷な大自然を生き延びることはできなかったでしょう。北海道では開拓を罪悪視する歴史観が強く、開拓者の独立自営の精神を見たがらない傾向にあり、結果として官僚の役割が強調されたというにすぎません。
 
 

サイト運営者は何者か?

 石狩郡手稲町(現:札幌市西区平和)に生まれた道民です。開拓者の子孫としては、父方から数えると三代目、母方からは四代目です。
 父方の祖父は宮城県角田村に生まれ、大正時代に北海道に渡り、今の札幌刑務所の看守になりました。囚人労働を監督したこともあったでしょう。戦後すぐ大阪への転勤を命じられると断り、手稲町平和の離農地を買いとって農家となりました。
 父方の祖母は、明治30年代に琴似の番外地に入植した両親に連れられて北海道に渡りました。もともと祖父の一家と祖母の一家は角田村時代に隣り合っていました。角田村の本家から北海道の二人に結婚するよう指示があったようです。
 母方の祖父は石狩生まれです。曾祖父が山口県出身で、明治20年代に石狩に入植した兄を頼って石狩に入植しました。曾祖父の兄は、はじめハワイに渡り、開拓費用を稼いでから北海道に渡ったと伝えられています。曾祖父は「拝み小屋」から開拓生活を始めました。祖父は北海道で生まれましたが、祖父の兄は移民船の中で生まれたそうです。母方の祖母の一族は新潟県の出身で、明治時代に石狩の生振に近い場所に入植しました。
 私はそうした両家の子どもとして1962年に手稲町平和に生まれました。札幌市内の小中高大学を卒業し、ライター・編集者として社史や記念誌、個人史をつくる仕事に従事してきました。そうした中で歴史を受け継ぐこと、伝えることの大切さを学んできました。 こちらもご参照ください。
 
 
 
 

北海道開拓の成果は──私たちです。 

北海道開拓の誇りを取り戻すことは、
私たちの誇りを取り戻すことです。

 
 

 


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