赤レンガ庁舎を解体から救った町村知
判断一つ間違っていたら、道民の大切な遺産を失っていた
札幌近郊の野幌森林公園に立つ「北海道百年記念塔」は今解体の危機にあります。老朽化を理由に高橋はるみ知事時代に解体の決定が下り、鈴木直道知事はその方針を全面的に受け入れました。しかし、歴史をひもとくと、北海道のもうひとつの象徴「道庁赤レンガ庁舎」にも解体の危機があり、前道政の決定を覆し存続を決めた町村知事の英断がありました。

道庁赤レンガ庁舎①
■解体を前提とした高橋知事発言
高橋はるみ知事時代の平成28(2016)年9月に「北海道の歴史文化施設活性化に関する懇談会」が設けられ、北海道百年記念塔を含む野幌森林地区の記念物の今後の活用方向が検討され、平成29(2017)年11月の「百年記念施設の継承と活用に関する考え方」と題する最終報告書では記念塔について
近年、老朽化が進み安全確保のため、平成26(2014)年7月より立ち入り禁止となっています。今後も維持していくためには、多額の費用負担が見込まれる状況となっています。このため、幅広く道民のご意見も踏まえた上で、安全性や将来世代の負担軽減、 周辺施設との関連など様々な観点から引き続き検討を進めます。[1]
と解体を匂わせた答申が出されました。
続いて『「ほっかいどう歴史・文化・自然「体感」交流空間構想検討会議』(以下検討委委員会)が平成30(2018)年5月に起ち上がり、平成30年12月策定の『ほっかいどう歴史・文化・自然「体感」交流空間構想』で
利用者の 安全確保や将来世代の負担軽減等の観点から、解体も止むえないと判断し、その跡地には、新たなモニュメントを設置することとします(発展的継承)[2]
として解体の方向が打ち出されました。
なお、平成30(2018)年9月5日の記者会見で高橋はるみ北海道知事は
私として思いがあるのは、50年で危険になったというのはちょっと悲しいことでもありますので、今回、皆さま方と議論をして作っていくものがモニュメントになるのか、あるいは公園整備になるのか、そこも含めて皆さま方のアイデアですが、最低やはり100年は耐えられるものにしていきたいなと、それが今を生きるわれわれの責務かなと、こんなふうな思いは持っております。[3]
と検討会議が始まる前に解体を前提とした新モニュメントについて言及しています。こうした知事の意向が検討会議に強く影響したと考えれます。
■無批判に解体を引き継いだ鈴木知事
高橋はるみ北海道知事を継いで令和元(2019)年4月に就任した鈴木直道北海道知事は、令和2(2020)年1月6日の定例記者会見で記者の質問に次のように答え、高橋道政の決定を引き継ぐことを明らかにしました。
(北海道)百年記念塔についてでございますが、今ご質問の中にもありました、一昨年(平成30年)の12月に策定した構想でございますが、こちらでは、百年記念塔については、建設から50年が経過して、先ほどご質問の中にもありましたけれども、老朽化が進んでいます。安全性の確保や将来世代の負担軽減の観点から、解体して、その跡地に新たなモニュメントを設置することとしたところであります。
その一方で、ご質問の中にございましたけれども、記念塔を保存したいと考える方々から、先ほど公開質問状のお話もございましたけれども、署名ですとか、公開質問状が提出されているという状況です。
道としては、先ほど申し上げた構想に沿って、現在解体に向けてスケジュールの調整や、関係機関との検討等を行っているところでありますが、記念塔を残したいと考えている方々に対しても、丁寧に対応していく必要があると考えております。[4]
このようにして、北海道の象徴である「北海道百年記念塔」は2代にわたる知事の判断により解体が決定しました。
しかし、後任の知事が必ずし前知事の決定を引き継がなければならないのではありません。民意を受けて当選した知事は自らの政治姿勢と自らの判断によって前道政の決定を覆した事例を紹介しましょう。
北海道百年記念塔と並ぶもうひとつの北海道の象徴である道庁「赤レンガ庁舎」は、田中敏文知事によって新庁舎建設のため解体撤去の決定が下されていました。これを昭和34(1959)年4月に就任した町村金五知事が覆しました。
以下は『町村金五伝』(1982)からの引用です。
■最初の人事と赤レンガの復元

町村金五氏
(勲一等旭日大綬章叙勲記念)
登庁後何日かして、私は田中君の事務引継書に目を通してみた。ところがその中に新庁舎の建設計画があり、建築場所は現在の赤レンガを取り壊した跡となっている。
私は早速担当の者を呼んで聞いたところ、赤レンガ庁舎は古くて手狭になっており、傷みもひどいのでこれを取り壊し、その跡地に新しい庁舎を建てることとし、すでに設計もほぼ出来上がっているということであった。
赤レンガ庁舎は、開拓使札幌本庁跡に、明治二十一年完工した日本でも数少ないバロック様式の建築物で、北海道の歴史の象徴であり、開拓の拠点として、道民の心のよりどころとなっている大切な建物である。これを古くて手狹になったからといって、いとも簡単に取り壊すとは、余りにも心ないやり方ではないのか。
戦後日本人の間には、戦中戦前のものはすべて悪として、われわれの祖先が営々として築いてきた幾多の文化的、歴史的所産を弊履の如く捨てて省みないという、まことに嘆かわしい風潮が広がっているが、赤レンガ庁舎の取り壊しも、こうした風潮の現れかと思い、情ない思いがこみ上げてきた。
事務当局としては、新庁舎の配置から言っても、正門の真正面に当たる現在の赤レンガ跡が適当と考えるのは無理もないことと思うが、後背地に高層のものを建てれば十分間に合うはずである。
私はこの由緒ある建物はぜひ残すべきであるし、むしろ創建当時の堂々たる姿に復元すべきである。風景画の画題としても人気のある復元された赤レンガ庁舎と確信した。
さらにこれを一歩進めて、国の重要文化財の指定を取り付け、永久保存すべきと考えるに至った。しかしこの復元保存の方針は、しかるべき時期がくるまで伏せておくことにした。
三十九年春、私は本庁舎建設協議会を設置して自ら会長となった。委員には、赤レンガ撤去論者を含めて三十人を委嘱したが、委員会での意見も、復元保存すべきとの声が大勢を占め、道民の間からも保存を求める声が高まってきた。
そこで私は、復元保存を正式に明らかにし、創建当時の古びた写真を唯一の手掛かりに、復元計画に取りかかった。まず専門家によって設計図の復元ができ、それによって、中尊寺金色堂を修復した東大名誉教授の藤島亥治郎氏、石造建築の権威名古屋大学教授の飯田喜四郎氏らを煩わし、屋根の石板スレート、大小五十種類のレンガの寸法などを明らかにしていただいた。
こうして赤レンガ庁舎は、トタンぶきの屋根が石板スレートになり、正面屋上に八角のドーム、南北両妻にバルコニーが復元し、昭和四十三年十月、八十年ぶりに誕生したときの姿を取り戻したのである。
翌四十四年には、国の重要文化財の指定も受け、道民の心のよりどころとして永久保存されることとなった。
今日、七光星の道旗をそのドーム頂上に飜し、前庭の二つの池と調和して建つ赤レンガの壮麗優美な姿を見るとき、あのときの判断が一つ間違っていたら、道民の大切な遺産を跡かたもなく失っていたと思い、感慨ひとしおのものがある。[5]
赤レンガ庁舎は明治21(1888)年につくられ、町村知事就任時ですでに70年の年月が経っていました。老朽化も著しかったでしょう。しかし、町村知事は赤レンガ庁舎の存続を決めただけではなく、構造上の欠陥から明治29(1896)年に取り払われた屋上の八角塔の復元を昭和43(1968)年の「北海道百年」事業の中で行い、国の重要無形文化財登録への道をひらきました。

赤レンガ庁舎1960年
八角塔がない③
今、赤レンガ庁舎が北海道の大切な遺産であることは誰しも認めるところです。しかし、そこには前知事の決定を覆した町村知事の英断があったことを覚えておきましょう。
そして、鈴木知事には「あのときの判断が一つ間違っていたら、道民の大切な遺産を跡かたもなく失っていた」との町村知事の言葉をかみしめてもらいたいものです。
【引用参照出典】
[1]「百年記念施設の継承と活用に関する考え方」北海道・2017年11月・7p
[2]「ほっかいどう歴史・文化・自然「体感」交流空間構想」北海道・2018年12月・9p
[3]北海道公式サイト>総合政策部 > 広報広聴課 > 平成30年度知事記者会見 http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/tkk/hodo/pressconference
[4]北海道公式サイト>総合政策部 > 広報広聴課 > 令和2年度知事記者会見 http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/tkk/hodo/pressconference
[5]北海タイムス社『町村金五伝』町村金五刊行会・1982・261-262p
①札幌市観光写真ライブラリhttps://www.sapporo.travel/sightseeing.photolibrary
②北海タイムス社『町村金五伝』町村金五刊行会・口絵
③札幌市公文書館公式サイト http://archives.city.sapporo.jp/Culture