【帯広・札幌】
十勝の覇王・高倉安次郎
道都の居城 (Cafe BEAN'S) を訪ねて
2024/06/03 9時35分更新
高倉旧邸に残る高倉安次郎肖像
札幌市中央区桑園に築100年の和様建築を利用した「Cafe BEAN'S」があります。建設当時の姿をできるだけ活かした店内は大正ロマンそのもの。北海道史の大家である高倉新一郎の旧邸として知られていますが、建築したのは新一郎の父・安次郎です。この高倉安次郎こそ、帯広・十勝の基盤を築いた人物。安次郎の経歴を振り返るとともに旧邸をご案内します。
故郷の荒廃を救うために
高倉安次郎は、明治6(1873)年に滋賀県甲賀郡土山町に生まれました。ここは東海道五十三次の宿場の一つで、高倉家は代々街道筋で宿屋を経営していたようです。安次郎は高倉家の九代目、地元の小学校を卒業後、大阪の製茶貿易商の丁稚となりますが、貧しい生家を助けるというよりは、貿易商の元で世界に飛躍する機会を得るためでしょう。
しかし、その夢は叶わなかったようです。この頃の野心あふれる青年は、こぞって日本地図に新たに現れた新天地、北海道を目指しました。安次郎も函館で呉服商をしていた伯父である高倉犠兵衛を頼って渡道します。伯父の元で商売を学びつつ地元の青年と交わり、21歳で「函館青年同志会」を結成、函館の若者世代のリーダーとして頭角を現します。
このまま函館の有力財界人になっていくかと思われた明治31(1898)年、社長である伯父が所有していた船「銀雪丸」が積荷もろとも難破。店は閉鎖に追い込まれました。安次郎は故郷にもどって再起を図ることにしました。
十数年ぶりに戻った故郷は、かつての繁栄が嘘のように寂れ果てていました。東京と大阪の間に鉄道が開通したことで、山奥の宿場町はすっかり見捨てられたのです。ここで安次郎は北海道開拓で故郷の苦境を救おう、拓殖会社「北海道移住期成同盟会」を立ちあげます。行動の早い安太郎は、帰郷のその年に同士を募って同会を組織し、移住地を選定すべく10月には安次郎を含む3人の先遣隊を北海道に送りました。
当初は石狩地方を希望しますが、札幌で道庁に相談すると、石狩はほとんど埋まっている。大面積ならば釧路か、帯広だろうと教えられ、10月27日に下帯広村(現帯広市)に着きました。帯広原野を探索する中で、安次郎はすっかり帯広に魅せられていきます。
■開拓農民のための商店
安次郎は、強い自信を持って土山に戻り、森島かつと結婚して身を固めた後、移民募集に乗り出しましましたが、安次郎が渡道中に名産のお茶の価格が急騰。現金なもので、村民の北海道移住熱もすっかり冷めていました。
ならば自分一人でも行く———と安次郎は新妻と弟治助を伴って下帯広に移住し、大通西六丁目に「カネマル高倉支店」を構えました。父が経営する「カネマル」の支店という名目です。安次郎自身は農場主になるつもりで北海道にわたりましたが、開拓を成功させるためには入植者に必要なものを届ける商店が必要だとして、商店経営に切り替えたのです。
この頃が十勝開拓の草創期で、毎年のように数千人単位で入植者がありました。自ら開拓農民になるつもりで渡道して開いた店です。入植者の立場に立った営業は入植者の心を掴みました。さらに仕入れや販売に、安次郎が函館時代に培った人脈が大きく役立ちました。
高倉商店が飛躍した原動力に「金肥」の取り扱いがありました。金肥とは「金を出して買う肥料」で、取り扱ったのは過リン酸石灰です。農業肥料を購入することは今では当たり前のことですが、原生林から開いたばかりの開墾地は肥沃で、肥料の必要がありませんでした。そして入植者もそのような宣伝を聞かされてきたのでしょう、追肥の発想が全く無かったのです。
しかし、どんなに肥沃な土地でも作付けを続けていけば土地が痩せていきます。遠からず「金肥」が必要になることを安次郎は予期していましたが、誰も耳を傾けませんでした。利益目的ではなく、十勝開拓を成功させるために商店を開いた安次郎ですから、入植小屋一軒一軒巡って肥料の必要を説き、「効き目がなければお金はいらない」と宣言したそうです。
連作が続き地力が低下した中での過リン酸石灰の効果は抜群で、このことが高倉の信用を高めました。こうして「カネマル」は帯広を代表する商家となり、兄弟を帯び寄せるとともに本店を移して、高倉商店となります。兄弟が事業を分担し、安次郎が全体を采配する体制ができると高倉商店はますます発展してきました。
■十勝の基盤を築く
明治36(1903)年には、十勝川を隔てた音更村に170ヘクタールの原野を取得、渡道当初の志であった開墾事業を行います。経営は弟の佳蔵を任せ、牛を飼い、バターや市乳を出すようになりました。
明治42(1909)年には、然別村に800haの払い下げを受け、さらに大正9(1920)年に隣地1545ヘクタールを買い入れ、121戸が営農する高倉部落を起こしました。ここは4番目の弟定助に任せました。その後、河西郡大正村上札内にも500haを取得しています。
日常の商売を呼び寄せた弟に任せる体制が整うと、安次郎は十勝・帯広のまちづくりに尽力していきます。明治39(1906)年に十勝国産牛馬組合を発起人代表として創設。後に十勝畜産組合となり、畜産王国十勝の礎となりました。
さまざまな苦難を残り超え、開拓地十勝の農業は発展していきますが、まだ農協などのない時代です。買い手の力が強く、農家は商人の言いなりでした。こうした状況を見ていた安次郎は帯広農産組合を組織して組合長に就任します。この頃、農家の作物は出荷方法も品質もまちまちで、そのことが商人の買いたたかれる理由になっていました。そこで安次郎は組合の自主検査によって品質の統一を図り、取引上の問題を一掃しようとしました。
この頃、本州では16貫(60kg)が雑穀の取引単位でしたが、北海道は開拓地であるとして40貫(150kg)を単位とさせられていました。これを全国統一基準に改めた召させたのも安次郎の功績と言われます。帯広の取り組みは全道に波及し、安次郎は北海道雑穀商組合連合会の議長に推されます。
せっかく開拓農家が作物をつくれるようになっても、その買い取り手がないことが問題でした。そこで安次郎は北海道製糖工場の誘致に尽力しました。
明治の元勲・松方正義の八男である正熊が台湾で製糖事業に成功すると、北海道進出を検討していました。このことを知った安次郎は台湾まで行って帯広への誘致を勝ち取ったのです。こうして北海道製糖ができますが、この工場が十勝の畑作農業に果たした貢献は語り尽くせないものがあります。
また開拓農家が資金的に不安定なことを案じて帯広信用組合(現帯広信用金庫)の設立に尽力しました。夫に先立たれ、子供を育てながら女手一つで雑穀商として名をなした十勝の女傑・藤田イクの望みを安次郎が受け止めての創業でした。創業時は安次郎の自宅が事務所であったそうです。
その外、開拓農村に文明を届けようと帯広電気株式会社を創設したり、軌道会社、印刷会社、精米会社、治水会などさまざまな組織を立ちあげ、または代表者に推されていきます。
■暗転、没落
高倉安次郎は、まっさらな大地から十勝が立ち上がる手引きをした人物といえますが、それだけに行政とぶつかることも多かったようです。政治家となってこの問題を解決しようと町会議員になりましたが、やがて政治の世界に取り込まれていきます。
大正5(1916)年に道議会議員になると、さらに国会議員になることを夢みます。十勝から初めての代議士を、と大正9(1920)年の衆議院議員選挙に打ってでました。当時は「政治と金の問題」を問われることはありませんでしたから、今の1億円相当のお金を注ぎ込み、まさにお祭りのような選挙戦を展開しましたが、わずか65票差で落選。相当なショックを受けたようです。
この敗戦を忘れようとしたためか、一転して安次郎は札幌に拠点を移して、札幌で温泉開発に乗り出しました。大正12(1923)年、札幌温泉株式会社を創設して、藻岩山山麓の界川界隈33万平方メートルを買い取り、今の言葉で言う温泉リゾートの開発に乗り出しました。
札幌温泉①
温泉を掘ってみたものの湯脈がなく、20キロ離れた定山渓から土管を引くという荒技。札幌温泉軌道という別会社をつくって客を運ぼうとしましたが、無理のある事業は当然のように行き詰まります。巨額の負債を抱えて昭和を見る前に破綻しました。
安次郎は、温泉事業の失敗から体調を崩し、東京に転居して療養を続けました。昭和8(1933)年3月5日に、帯広の有志が安次郎の功績を後世に遺そうと胸像を建てると、その除幕式に出席しましたが、翌日に倒れて寝たきりとなり、12月17日に全身全霊をかけて育てた帯広の街でなくなりました。「自分でしたいと思ったことはみんなやった。思い残すことはない」が最後の言葉であったそうです。
■桑園に残る安次郎邸
以下の写真は、高倉安次郎が札幌の自宅として大正11(1922)年に建設したものです。1階は洋間、2階は和風の和洋折衷住宅です。壁の一部には北海道で初めて生産されたベニア板を使用するなど、北海道の貴重な建築文化財です。
温泉事業の失敗によりいったん人手に渡りましたが、長男で北海道大学教授の高倉新一郎が買い取り、自身の住居として使ってきました。高倉新一郎は、北海道百年事業として編さんされた『新北海道史』全9巻の編集長として知られる北海道史の大家です。
高倉新一郎
新一郎が平成2(1990)年に亡くなると息子である北海学園大学名誉教授の高倉嗣昌さんが引き続きました。現在は、アンティークなカフェ「Cafe BEAN'S」に生まれ変わっています。
高倉安次郎旧邸(Cafe BEAN'S)
現在はカフェ「Cafe BEAN'S」となっている高倉旧邸
1階が洋館 2階が和館の和洋折衷住宅
玄関周りも当時のまま
玄関に入ってすぐ右手が現在はCafe
アンティーク家具が集められている
高倉安次郎が使用した机と伝えられている。奥の書棚に高倉新一郎の著書が収められている
天井の装飾も当時のまま
カウンターと奥がキッチン
2階に通じる通路。特別に入れてもらいました
アンティークな電灯スイッチは当時のまま
西の出窓部分
2階は二間続きの和室
2階和室 高倉新一郎が考え事にふけった揺り椅子
世界を旅した高倉新一郎の土産
歴史の重みを感じる床の間
残された資料を整理していずれ2階は資料室になるそうだ
Cafe BEAN's
住所:札幌市中央区北6条西12丁目8-4 JR桑園駅より533m
電話:080-6260-5881
営業時間:11:30~20:30
定休日:水
【主要参考文献】
①北海道総務部文書課『開拓につくした人びと4 ひらけゆく大地下』1966・北海道
帯広信用金庫編「高倉安次郎物語」『とかち賛歌 帯広信用金庫百周年記念誌』2017・帯広信用金庫
北海道新聞社編『私のなかの歴史7』1987・北海道新聞社