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『馬橇の花嫁』 逢坂 芳郎 監督インタビュー

道産子の原風景
未来に向かってつくられた
70年前の再現映像

 

 
カンボジアを舞台にした『リトルサーカス』で注目を集めた逢坂芳郎監督が地元十勝に移り住んで制作した短編映画『馬橇の花嫁』(ばそりのはなよめ)が話題です。帯広のベーカリーに飾ってあった昭和31年の写真から作られた映画。農業構造改善事業が始まる前、機械化が及ぶ前の十勝の農村生活が美しい映像で綴られています。時代風景の映像再現という境地を拓いた逢坂監督にインタビューしました。
 

逢坂芳郎   Yoshiro Osaka
十勝幕別町出身。映像作家。帯広市在住。コロナ禍のカンボジアを舞台にした短編映画『リトルサーカス』は、第24回上海国際映画祭短編コンペティション部門入選、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭最優秀短編作品賞、観客賞などを受賞。2024年に制作した短編『馬橇の花嫁』は、海南国際映画祭金椰賞にノミネートされたほか、テヘラン国際短編映画祭、モスクワ国際映画祭などの国際映画祭に入選した。

 

『馬橇の花嫁』の公式サイトはこちら

 

『リトルサーカス』の公式サイトはこちら

 
 

監督は十勝に生まれ、映画監督を目指して18歳で渡米されたそうですね?

父親は建設業だったので現場記録用にビデオカメラを持っていたんです。僕が高校時代には、あんまり使っていないようだったので、学校に持ち出しては遊び道具として使っていました。そのカメラで学校行事とか、友達とのいろんなことを撮っていました。それをみんなに見せて遊ぶという体験がすごく楽しかったんです。そうしたことから映像にすごく興味を持ったんですね。
 
そして高校を卒業する頃になったときです。映画といえばアメリカだし、部活でバスケットをやっていたのでバスケといえばアメリカです。自分の興味のあるものが集まっているのがアメリカでした。そこであまり深く考えずに勢いで飛び出たんです。
 

それは何年頃の話ですか?

アメリカに渡ったのが1999年5月です。そこから5年半、映画学校に通いました。一度転学しているんですよ。最初はカリフォルニア州立大学フラトン校に通いましたが、2年後にニューヨーク市立大学ブルックリンク校の映画制作学科に転入して、そこから本格的に映画の講義を取るようになりました。
 

そして帰国されてからずっと東京で映像の仕事をされていたと?

はい、帰国後フリーランスとして働き始めましたが、すぐに映画の業界に入ったわけではなく、どちらかというと企業映像とか、そういう仕事をしていました。それでも時間を見つけては映画の現場に入るようにしていました。僕が本格的に映画を作り始めるようになったのは日本に帰ってきて10年過ぎくらいからです。
 

 

ドキュメンタリー系の映画を指向されたのは、どういうきっかけでしょうか?

学生時代から、ドキュメンタリーのようなリアリティのある映画を見ると、すごく気持ちが高まるというか、そういう映画に惹かれていたんです。日本に帰ってきた20代の中で、中国や香港に行ってドキュメンタリーを2本ぐらい作ったりはしています。
 
そうした中で、今につながるフィクションだけどノンフィクションのようなリアリティのある表現を目指すようになったのは、台湾の侯孝賢(ホウ・シャオシェン)という監督さんの影響が大きいですね。
 
彼は自分の生まれた町とか土地、自分の思い出を映画にしているんですが、ハリウッドのようなクレーンショットとか、そういうようなショットは全くなく、全部カメラと三脚一台で撮られている。けれどもその絵はとても素晴らしい。カメラは動かず、長回しが多いですが、だからこそそこに真実の間(ま)が存在している。フィクションでありながら記録的である侯孝賢の映画に共感と憧れを抱きました。
 
しかも、自分のルーツに近いものを映画として表現する———そういうことが映画を通してできることに強く興味を持ちました。今のスタイルは侯孝賢監督から影響を受けているところが大きいです。
 

そして監督は、カンボジアを舞台にした『リトルサーカス』で注目を集めました。

映画の内容としては、カンボジアのサーカス学校に通う少年たちを描いたものです。2018年の春くらいからカンボジアで教育や芸術分野で社会貢献を行っているNPOのプロジェクトに関わるようになり、そのNPOが支援するサーカスに通うようになりました。
 
ところが2020年からのコロナ禍でサーカス学校が休校し、興行ができなくなってしまったんです。何もできなくなったときに、一緒に映画を作ろうと僕から声をかけました。
 
彼らは本当に表現が大好きな人たちなんですが、コロナで何もできない。すごくかわいそう。なにか一緒にできないかと思って撮り始めました。形式的にはフィクションなんですけれど、コロナで彼らに実際に起きた出来事をベースとして作った映画です。
 
サーカスは、なによりも体で表現するものですよね。彼らから身体の力というか、人間の力というか、何か強い力を感じたんです。そのことに僕はすごく感動して、彼らとすごす間に、それを映画として伝えられたらいいなと思ったんです。
 

カンボジアには日本の昭和20年代、30年代が残されていて、それを表現してみたかったということでしょうか?

カンボジアというよりもサーカスだったと思います。カンボジアも都会はもう日本と変わらないんです。でもサーカスですから、子どもたちは本当に体を使っていますね。体を使う、フィジカルで表現するということに惹かれたんだと思います。
 

さて『馬橇の花嫁』について伺います。『リトルサーカス』に続く作品ですが、構想はいつ頃から始まったのでしょうか?

『馬橇の花嫁』という企画自体は、『リトルサーカス』を撮る前から一応あったんです。2019年ぐらいに地元帯広のパン屋さんに行った時、壁に飾ってあった昭和31年の馬橇に乗った花嫁の写真を見て、すごく映画的だなって思ったのが始まりです。
 

『馬橇の花嫁』の着想となった写真
(帯広市百年記念館所蔵・荘田與志氏撮影)

 
映画にしたいと思って、すぐ実際に馬橇の花嫁を経験したことのあるおばあちゃん2人ぐらいにインタビューをさせてもらいました。そうやってリサーチを始めたんですが、そうこうしているうちにコロナになりました。1年半ぐらい日本で映画を撮るのが難しくなり、一旦中断して、その代わりというわけではないですが、カンボジアで映画を撮っていたんですね。
 

『馬橇の花嫁』を見させていただきましたが、起伏のあるドラマがあるわけではないのにとても印象に残りました。どのような制作意図だったのでしょうか?

始まりは馬橇の花嫁の写真ですが、他にもいくつか写真がベースになったシーンがあるんです。例えば、相撲のシーンも、そっくりそのままの写真があって、それを再現したものです。花嫁と花婿の出会いがお祭りだったというのも、おばあちゃんの体験談です。
 
出処はバラバラですが、実際に残っていた写真や実話、農民文集などに残っていたものをつなぎ合わせました。ですから、いろんな人のいろんな人生が入っているんですね。一つの具体的なストーリーというよりも、いろんな人たちの記憶と記録がひとつの写真集になったという感じです。
 

この映画で監督が訴えたかったことは、何だったのでしょうか?

何かを訴えるという感覚はないかもしれません。訴えるというよりも残したい。長い時間、100年、200年と残って、未来の人たちに見てもらえるようにしたいと思いました。ですから再現性にこだわりましたし、芸術性も高ければ保管してもらえるものになるだろうと考えて、そういうところにはこだわりました。
 

カンボジアの経験が『馬橇の花嫁』に与えたところは何でしょうか?

いくつかありますが、まずカンボジアは本当に農業が盛んなんですね。それもお米が中心。街からちょっと外れるとずっと畑や田んぼが広がっている。牛が一緒に道路を歩いていたりしています。動物がたくさんいて、農作業も機械よりも体で作業している人が全然多い。すぐに木に登って実を取って降りて、地べたに座って食べ始めたりするんですよ。おそらく日本の昭和30年代の農村に近いものがあるんですね。それらは『馬橇の花嫁』の登場人物の動きに反映されています。
 

小道具一つにもこだわって昭和31年を再現したということですが、そのご苦労はいかがでしたか?

僕は2022年4月に東京から十勝に戻ってきたわけです。住みながら映画を作りたいという理由ですが、実際に住んでいるわけですから、いろんなところに顔を出して話を聞いたりしているうちに自然と映画ができあがっていく感じでした。
 
小道具も幕別の「ふるさと館」や近隣の郷土資料館などから当時のものを借りられるわけです。東京に住みながら撮っていたらもっと苦労はあったと思いますが、住みながらつくるというのは便利だなと思いました。コントロールできないのは天気ぐらいです。
 

 

ご実家は十勝の開拓民だったのですか?

うちは4〜5代前に四国から団体で来て、このあたりを開拓したようです。ただそれはうちの父の曾祖父くらいの話なので、父にしても「そうだったらしいよ」という程度です。ですから自分が開拓民の子孫だということをアイデンティティというほど深く考えたことはありません。ただ、普通に開拓民の話を聞いたり、見たりするのは、すごく興味があります。
 

次回作についてはいかがでしょうか?

映画の表現として『馬橇の花嫁』で「時代の再現」を技術的に経験して少し自信がついたので、せっかくならこの経験を生かし時代物を撮りたいという気持ちになっています。それこそ『リトルサーカス』につながるかもしれませんが、いろいろと書物を読んでいても、やはり開拓には人間の力みたいなものをすごく感じるんですね。それを映画として見せたら、今の人たちに人間の力を感じさせることができるんじゃないかなと思ったりしています。
 

期待しています。ありがとうございました。

 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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