北海道の歴史・開拓の人と物語

北海道開拓倶楽部

高野長英の愛弟子を襲った悲劇──深川市多度志・鶴岡藤三郎

 
1965(昭和40)年まで存在し、今は深川市と合併した多度志町の北東、鷹泊まりとの中間にあった鶴岡地区のお話です。
 
鶴岡地区は、1903(明治36)年12月に鶴岡藤三郎が500町の貸り下げを受け、鶴岡農場を開設したことによって始まりました。鶴岡藤三郎は千葉県犢橋(てこはし)村(現千葉市花見川区)区出身の士族です。幕末に活躍した志士として知られる高野長英の弟子でした。
 
高野長英は長崎のシーボルトに医学・蘭学を学んだ蘭学者で、1830(天保1)年に江戸で蘭学塾を開きます。多数の洋書を翻訳し、江戸期に西洋文明を広げるのに大きく貢献しましたが、攘夷派から目をつけられ蛮社の獄に連座してしまいます。1844(弘化1)年に牢屋の火災に乗して脱獄、1850(嘉永3)年に捕縛の歳に命を落とすまで、開明派の大名などに庇護され蘭学書の翻訳を続けました。
 
藤三郎は犢橋(てこはし)村の名主鶴岡藤右衛門の家に生まれました。犢橋村は幕府の旗本小栗氏の知行地だったといいますから、鶴岡家は地域の豪農で名字帯刀を許された郷士だったのかもしれません。
 
鶴岡藤三郎がいつどのようなかたちで高野長英と親交を結んだのかは不明ですが、維新の動乱に青春の血をたぎらせた一人だったのでしょう。藤三郎は家督を継いで名主として郷民から尊敬を集めていましたが、晩年になって北海道開拓を志しました。
 
維新の志士たちの中には、明治の王政復古で役割を終わったと考えず、北海道開拓に従事することで自分の志を全うしようと考える者が多数いました。道内の歴史研究者にはまったく無視されていますが、北海道史の大きなテーマと考えます。鶴岡藤三郎もそうした一人と思われます。
 

深川市多度志のソバ畑 (写真出典①)

 
渡道3年、まさにこれからというときに鶴岡藤三郎に悲劇が襲います。以下は『多度志町史』(1965)の154pです。
 
開墾に従事し、業漸く緒につかんとする1906(明治39)年8月12日、不幸にも娘婿神谷勇松の凶刃に一家7人共斃れたことは同情を禁じ能わざるものがある。
 
鶴岡藤三郎の娘の婿である神谷勇松は土工夫上がりで素行が悪く、藤三郎は離縁させようと妻と相談していました。運悪くこの会話が勇松の耳に入って、激怒を招き、全家族7名の惨殺になったのです。
 
その夜、勇松は鶴岡藤三郎宅に留まり、翌朝、農場で収穫した燕麦を馬車に積み、深川で換金して高飛び。しかし、神戸で捕らえられて死刑となりました。34~5歳だったといいます。当時事件は全国的に大きな関心を呼んだようで「事件後、時代劇に仕組まれて興行された」と町史は述べています。
 
鶴岡部落の人たちは藤三郎を惜しみ、13回忌にあたって記念碑を建て、次のように刻みました。
 
鶴岡藤三郎君ハ千葉県犢橋村名主藤右衛門ノ男ナリ 資性剛直 時ノ名士高野猛矩ト親交セリ 又戸長トナリテ治績アリ 晩年拓殖二志シ 明治三十六年 当地ノ未開地五百町ヲ求テ開墾二従事シ 励精刻苦 業漸ク其緒二就クニ及上不幸 明治丙午歳八月十二日 家族七人不慮ノ難二遇テ歿ス 遺骨郷里二葬ル 鳴呼氏ノ如キハ実二本道開拓ノ犠牲者タリ 可惜哉 今拾参回忌二際リ有志者相謀り 生前ノ事蹟ヲ追録シ 碑ヲ建テテ共功労ヲ伝フ
 
大正七年十月建之 世話人 千葉嘉膳 高桑宅次郎 藤信與仁 中野川三蔵 赤岩市蔵 撫養馬三
 
北海道に農園をもつ士族には不在地主も多かったのですが、鶴岡藤三郎は家族全員を連れて入植しました。それだけ北海道開拓に寄せる気持ちは強かったのでしょう。悲劇に遭わなければきっと地域のリーダーとして活躍したはずです。惜しんでも余りある百年前の悲劇でした。
 
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【参考文献】
『多度志町史』1965・多度志町役場
 
【写真出典】
①「多度志のソバ畑」
「寄って・遊んで・食べて 深川いただきます」ホーム>観る>自然美・撮影スポット 
https://www.city.fukagawa.lg.jp/kankou/pages1/ne5dau0000000s1x.html?cs=ne5dau0000000hb2#PhotoSect3

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