北海道の歴史・開拓の人と物語

北海道開拓倶楽部

 

よみがえる世紀の祭典「北海道百年 」


1968年 北海道百年 

記念祝典編 ① 入場〜開会

北海道百年記念祝典は、昭和43年9月2日、天皇・皇后両陛下をお迎えして、札幌市円山陸上競技場で2万人の列席者を集めて挙行されました。この日の模様を『北海道百年 記念事業の記録』(1969)より再現しましょう。佐藤栄作総理大臣以下三権の長、国会議員、都道府県知事などが出席したそれは国家を挙げた祝典、オリンピック開会式をも上回る空前のページェントでした。

 

北海道百年記念祝典(出典①)

●円山陸上競技場に2万人

この日、6時半、祝典は予定どおり円山会場で挙行すると決定され、テレビ・ラジオの朝のニュースはいっせいにこれを発表、8時、あいづの花火が市内5か所で打ち上げれらた。

祝典会場正門(出典②)

前日の激しい雨のなごりをとどめた空模様で、天気予報は時々にわか雨と告げてはいたが、祝典を主催する道は早朝から気象台関係者と予報資料を検討し、とくに〝荒天〟とならないかぎり、多少の雨天でも円山会場で挙行するという既定方針に従ったのである。
 
前日の豪雨で荒れた会場内外は手早く整備され.全道の市町村旗が会場を囲んではためき、受け付け、案内にあたる道職員たちが持ち場につき、参列者を迎え入れる準備は万端ととのって待機する。テレビは、NHK、HBC(北海道放送)、STV(札幌テレビ放送)の3局がこの祝典をもって地元から初めてカラー放送を開始することになり、その初放送が全国に中継されるのである。
 
10時、20発の花火が祝声をとどろかせ、待ちうけていた一般参列者約2000人がどっと入場した。
 

満員の一般参列式(式典③

雨足がいく度か通りすぎたが参列者の足は引きも切らず、2万人を収容する一般参列者席はほどなくいっぱいになった。参列券なしに早くから詰めかけていた人も多く、その熱意にこたえて場内トラックの一部に砂を入れ、敷き物を敷くなど、応急の座席も作られたが、なおはいりきれない数百人が場外の高い道路上に鈴なりに立ち並び、あるいは土手に登っていた。
 

会場配置図(出典④)

 
NHKを含む道内放送局がカラー中継を行ったのはこの式典が最初とあります。式典は全国放送されました。一般参加者は16000人が予定されていましたが、これは札幌近郊の道民が任意に集まったのではなく、支庁人口に応じて格支庁が取りまとめたもので、この他に予定外の観客が多数駆けつけたため臨時に座席を設けたほか、入りきらない人々が外から立ち見したようです。この他に政府関係者、道や市町村関係者、府県知事、アメリカ、ソ連、大韓民国代表、開拓功労者の子孫等など4000人の特別列席者がありました。
 

●ケプロン、黒田清隆の子孫も

開会を待つメインスタンド特別参列者(出典⑤)

メインスタンドを埋めた約4000人の特別参列者のなかには礼装にとりどりの勲章をつけた晴れ姿が多く、また明治初めの開拓顧問ホーレス=ケプロンの孫アルバート=スノーデン=ケプロン夫妻、北海道酪農の偉大な父エドゥウィン=ダンの子息夫人ダン道子さん、第3代開拓長初代北海道庁長官官黒田清隆の孫常清氏、岩村通俊の孫一木氏の代理、第2代同長官で屯田兵制度育ての親でもあった永山武四郎の三男武美氏ら開拓功労者の子孫。
 
特別参列者には、本文で紹介した以外に、内閣総理大臣、衆参議長、最高裁判長官という3権の長、3名の国務大臣、宮内庁長官、34名の国会議員、92名にも及ぶ都道府県知事、同議会議長が参加しました。まさに国家的祝典だったことがわかります。
 
開拓功労者の子孫には、本文の他、なじみ深いところで依田勉三、伊達邦直、島義勇、松本十郎、松浦武四郎の直系子孫が招かれました。
 

表:特別参列者区分(出典A)

 

●アイヌの人たちも祝賀に

原キャプション「アイヌ婦人も祝典の感動を胸に・・・」
(出典⑥)

また先住民族のウタリ(同胞)たち、あるいは南米から里帰りした本道出身移住者代表たちの姿も見え、最上段中央の菊花模様と黄・紫の謀で飾られたロイヤルボックスには佐藤総理大臣、赤沢自治大臣、木村道開発庁長官、小林郵政大臣やジョンソン駐日アメリカ大使・マルティン駐日アルゼンチン大使・駐日大韓民国大使代理安光鏑公使らが並んだ。
  
13時30分、音楽隊1600人の入場―吹奏楽の各団体、陸上自衛隊のファンファーレ隊と音楽隊、道警音楽隊に続いて札幌市内高校生男女1000人の合唱隊が、おりからの雨しぶきの中に美しい色模様を描いて場内を一周、メインポール下の音楽隊席についた。
 

ファンファーレ隊と合唱隊(出典⑥)


ジェット機が8機、雨雲を吹きとばすかのような爆音をとどろかせて飛び来たった。航空自衛隊北部航空方面隊第2航空団(千歳市)のF104J戦闘機による慶祝飛行である。
 
「北海道百年記念祝典」にアイヌ民族は招待参列しています。これは非常に重要な事実です。1968年の「北海道百年」を非難する声として「アイヌウタリをまったく無視しての行事が行われたと言っても過言であるまい」(結城庄司『アイヌ宣言』1980・三・一書房・18p)などという声があります。こうした声が2018年の「北海道150年」を排撃する論拠にもされました。
 
しかし、実際には特別参列者として野村義一北海道ウタリ協会長は招かれていていることに確かな記録があります(北海道百年記念施設建設事務所「北海道百年記念事業記録資料編」1969・322p)。写真のアイヌ婦人も、原則としてこの式典の参加者は招待者なので、市町村代表もしくは何らかの団体の代表として招待された方です。〝「北海道百年」がアイヌを無視した祭典である〟というのは全くの事実ではないことを覚えておきましょう。
 
 

航空自衛隊による慶賀飛行(出典⑦)

 

●216市町村の入場行進

14時、ドラの連打が北海道2世紀のあけぼのを告げて殷々(いんいん)と響きわたり、祝典開会のアナウンスが流れた。
 
音楽隊席に高鳴る「想い出の北海道」行進曲のメロディーにのって、南ゲートから全道市町村旗の入場行進が開始された。札幌市を先頭に、石狩、渡島、桧山、後志……と続く。それぞれの郷土の旗を高らかに掲げるものは各市町村の青少年男女代表4人、総勢864人である。
 

216市町村の青少年男女4名、総勢864人の入場(出典⑧⑨)

 

メインスタンド式台に立つ町村道知事、その下に居並ぶ全市町村長をはじめ全参列者が、若ものたちの力強い足どりのうちにこもる北海道の果てしない前進の足音を聞く。
 
「……釧路に統いて入場いたしましたのは、大規模な酪農と活気あふれる水産に限りない前進が約束される希望の地、そして〝島よかえれ〟の悲願をこめた根室地区です。根室市を先頭に別海村・中標津町・標津町・羅臼町であります。以上14地区216市町村の旗が、それぞれの市町村の行少年代表に捧持されての入場であり、北海道がこれからの100年をたくましく成長し続けることを誓うものであります」
 
と、場内アナウンスが結び、市町村旗が緑のフィールドに半円形に整列した。
 

整列した216市町村旗(出典⑩)

 

●「北海道旗」の披露

行進の吹奏楽がやんだ。
 
壮重な太鼓の音──小学女子生徒に先導された北海道旗の入場である。雨はあがり、明るい日ざしが道旗の七光星の上にふりそそいだ。
 

北海道旗を迎える(出典⑪⑫)

 

 道旗は青少年団体と高校の若ものたち16人に捧持され、参列者の長い拍手の波の中を一巡してフィールドの市町村旗の中央前方に進み出た。21発の花火、全参列者が打ち振る日の丸と七光星の旗の波、万歳の声に迎えられて、天皇・皇后両陛下がご臨場になった。

 

 

216市町村の代表が揃い、天皇皇后両陛下を迎える(出典⑬)

 

北海道のエンブレム7稜星は、「北海道百年」事業検討の中で制定が決められ1967年5月27日発表されました。この制定されたばかりのエンブレムをお披露目することが祝典前半のメインイベントでした。
 

 

【引用出典】
北海道百年記念施設建設事務所「北海道百年記念事業記録」1969・8〜22pより抜粋
【写真出典】
①②③⑤⑧⑨⑩⑪⑫北海道百年記念施設建設事務所『北海道百年記念事業記録』1969
④北海道百年記念施設建設事務所『北海道百年記念事業記録資料編』1969
⑥⑦⑬『グラフ北海道1968』1968/9/10・北海道新聞社
【表出典】
A:北海道百年記念施設建設事務所『北海道百年記念事業記録』1969・289p
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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