よみがえる世紀の祭典「北海道百年 」
1968年 北海道百年
記念祝典編 ② 式辞〜青少年の誓い
前編に続いて「北海道百年祝典」の町村金五北海道知事の式辞、佐藤栄作内閣総理大臣の祝辞、岩本正一道議会議長の決意表明、青年代表による「青少年の誓い」を『北海道百年事業の記録』(1969)より原文の通りにお知らせいたします。なかでも「青少年の誓い」は祝典のハイライトに位置付けられました。壮大な北海道百年記念事業全体が次代を担う若者に開拓精神を引き継ぐことを目的としていたからです。これらの言葉にあふれた北海道開拓への自信と誇りを味わっていただければ幸いです。
なお2018年の「北海道150年記念祝賀会」は、知事の式辞、祝辞、誓い、青少年の誓いまでが同じ(内閣総理大臣に代わり沖縄北方担当大臣と悲しくなるほど格は落ちますが)流れとなっています。別リンクで『北海道150年事業記録誌』からの引用を紹介します。この50年で北海道が何を失ったのか──わかります。
式辞
北海道知事 町村 金五
(出典①)
本日ここに、天旦・皇后両陛下のご臨場を仰ぎ、来賓多数のご参列をいただき、北海道百年記念祝典を挙行できますことは、まことに感激のきわみであり、道民のひとしく喜びとするところであります。
顧みればいまから百年前、北辺開拓の緊要なることに深く思いをいたされた明治天皇のおぼしめしを体し、新政府は明治2年に開拓使を設置し、えぞ地を北海道と命名して、開拓の大業を興したのであります。
かくて、当時の先人は卓抜雄渾な構想をもって新天地の経営に心魂を傾け、かつて体験を知らぬ酷寒風雪とたたかい、未開の大地に開拓のくわをふるったのであります。
爾来百年、わが北海道は、めざましい発展をとげ、国力の進展に寄与するに至ったのでありますが、これはひとえに今日まで開拓に挺身された人々の卓越した見識と不屈の努力のたまものであり、まさに歴史に特筆すべき不滅の業績と申さねばなりません。
われわれは、先人の築いたこのみごとな基盤のうえに北海道がもつ限りない発展力をいよいよ発楊し、北方にふさわしい活気あふれる産業、明るく豊かな生活、香り高い文化を創造し、国家・民族の進歩と繁栄にいっそう貢献しなければなりません。これこそ、すべての道民に課せられた最大の責務なのであります。
われわれは、いまこの重積を深く銘記するとともに、かつて北辺開拓の原動力が気概にみちた若人であったことを思い、今後青少年の果たすべき役割のまことに大なることを痛感するものであります。
青少年諸君が、その使命を自覚して心身の鍛練に励み、いかなる艱難をも克服する不抜の開拓者精神を振い起こし、偉大な北海道の建設に向かって力強く邁進することを心から熱望してやみません。
この意義深い北海道百年記念祝典にあたり、520万道民を代表し、百年の風雪に耐え抜いた先人の偉業に深い惑謝の誠をささげるとともに、輝く未来を創造する決意をここに新たにし、もって式辞といたします。[1]
→北海道150年の式辞はこちら
祝辞
内閣総理大臣 佐藤 栄作
(出典②)
ときあたかも明治百年の記念すべき年にあたり、ここに天皇・皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、北海道百年記念祝典が挙行されますことは、まことに慶賀にたえません。
明治初年、政府はとくに開拓使を設置し、先進諸国の技術を導入してその開拓に当たったのでありますが、道民の旺盛な開拓者精神によって、かつての未開の地はいまや約520万の人口を擁し、高い生産性を発揮しうる希望の地として成長するにいたりました。
北海道百年の歩みは、そのままわが国発展の歩みであります。近代国家建設の意欲に燃えた国民のたゆまない努力によって、わが国はいまや国際社会において指導的役割を占めるに至りました。
しかしながら、先進諸国に伍して真に世界の平和と繁栄に寄与するためには、いっそう国力の伸展をはからなければなりません。
明治百年ならびに北海道百年という光輝あるときにあたり、道民諸君とともにこのことに深く思いをいたし、次の時代に向かってたくましく前進する決意を新たにするものであります。
本日の盛典にあたり、北海道の限りない前途を祝福するとともに、北海道がわが国の発展と飛躍に今後ともなおいっそう貢献されることを念願し、お祝いのことばといたします。[2]
決意表明
北海道議会議長 岩本 政一
(出典③)
北海道百年記念祝典にあたり、天皇・皇后両陛下のご臨場をかたじけのうし、来賓多数のご参列を賜わり、全道民の光栄これに過ぎるものはありません。
原始未開の大地に開拓のくわが入れられてからここに百年、わが北海道が史上まれにみる発展をとげるに至りましたことは、先人の苦闘と内外からのあたたかいご支援のたまものであり、まことに感謝にたえません。
わが北海道の未来に描く理想像は、先人がなしとげたこの偉大な基礎の上に、雪と寒さを克服し、緑深い清らかな自然の中に真に北方の風土に適合した産業と生活、文化を築き上げることであります。このことは、わが国の繁栄に貢献し、ひいてはわが国が国際社会において名誉ある地位を確立する道でもあると思うのであります。
私どもは、風雪百年の間、道民の血潮の中に流れ続けてきた不屈の開拓者精神をいよいよ振い起こし、いかなる試練をも乗り越えて理想郷北海道の建設に邁進せんとするものであります。
意義深い北海道百年を迎え、全道民こぞって郷土北海道の輝く未来の創造に向かって敢然として立ち上がる決意をここに表明いたします。
青少年の誓い
北海道青少年代表
今井 博
高垣 春美
わたしたちは、たくましい開拓者精神をうけつぐ北海道の青少年です。
わたくしたちの育ったこの郷上と、そして祖国に、より輝かしい発展と平和をもたらすように、目を世界に開き、みずからを鍛え、たゆみない創造への努力を重ね、新たな百年の建設に邁進することをちかいます。
1968年の「北海道百年」は北海道の開拓精神を未来を担う青少年に引き継ぐことが大きなテーマになっていました。そのためこの「青少年の誓い」はオリンピックの聖火点灯のような祝典のハイライトに位置付けられていました。
今井博さんは当時20歳、栗沢町栃波の農業後継者。高垣春美さんは19歳、北星学園大学2年生。この青年代表には全道の青少年団体から男女各14名の、高等学校長会から1名、計30名の推薦から、北海道青少年団体連絡協議会が中心になって選考が行われました。
宣言の文案も練りに練ったもので『北海道百年記念事業の記録資料編』はこんな舞台裏を伝えています。[3]
(出典④)
式典のハイライト「青少年の誓い」はその人選と文案の作成に頭を痛めた。道青少年連から推薦された青少年団体代表30名の面接試験を行い、一人ひとりに北海道青年憲章を朗読させて、容姿、態度、発音法等を審査し、今井大君高橋君にほぼ案を固めたところで新聞にスクープされて、他社から厳重抗議を受ける一幕があった。
文案は簡素で格調高い将来に残すような言葉をということで、青少年代表、報道、学識者による起草委員会も数度にわたって開催し、一言一言を吟味した。最後にはおとなを含めた試案を、さらに青少年代表を中心に論議し、かれらが納得したものを知事にも見ていただいて決めた。
これを当日までスクープされないよう気を配ったことはもちろんである。誓いを述べる両君には、式壇の昇降、不動の姿勢、最敬礼、デュエットと単独の発声法、間の取り方など連日本庁屋上で特訓した。2人とも純真で物分かりのいい好青年である。当日は堂々と胸をはり、目を輝かせて立派に大任を果たした。[4]
この青年代表が誰になるのかマスコミ各社でスクープ合戦がありました。いかに道民の関心が高かったかのかを伝えています。
会場では披露されませんでしたが、『北海道百年記念事業の記録』に掲載された来賓の各国大使の祝辞も私たち道民の気持ちに響きます。
祝辞
駐日アメリカ合衆国特命全権大使
アレクシス・ジョンソン
北海道百年を祝うきょうの記念祝典にあたり、道民のみなさんと共に心からお祝いを申しあげます。私たちはきょう、北海道の耀かしい過去におけるひとつの誇らしい出来事だけを記念しているのではありません。この機会に、北海道が開拓いらい最初の100年間にとげためざましい進歩を祝い、そしてまた、北海道開拓者たちに対し、彼らの先見の明とその偉大な決意に敬意を表しているのでもあります。
この100年間に、それらの方々は北海道の荒野を切り開いて、整然とした実り豊かな農地や牧場をつくり上げました。そして今日、そこには発展しつつある近代都市、りっぱな大学、盛大な産業、ゆき届いたレクリエーション施設ができております。
私の同胞たちが、とくに明治初年、北海道の発展にひと役を果たしえたことを、私はアメリカ人として心から誇りに思っております。実際、ホーレス=ケプロン、ウイリアム=クラーク、エドウィン=ダンといった名は北海道の初期の開拓そのものを意味するといえるくらいであります。私は、これらの人びとの時代を特徴づけていた日米両国民間の理解と友好の精神が、さらに輝かしい将来へと永続することを切望するものであります。
私は、北海道が100年にわたる発展を祝っている今日、その首都札帳が1972年冬季オリンピックの開催地に選ばれていることはとりわけ意義深いことと思っております。この冬季オリンピックを機会に、さらに多くのアメリカ人が北海道の美しい景色に接し、また友情に厚く親切なみなさんにお会いできることは、まことに喜ばしいしだいであります。北海道開拓者のみなさんへ、私はアメリカ国民を代表してごあいさつを申しあげるとともにみなさんのご多幸をお祈りします。[5]
駐日大韓民国大使
厳 敏永
北海道百年を迎えるにあたり、道民のみなさまに心からお祝いのことばを申し述べます。日本の総面積の5分の1を占め、しかも豊富な資源を有する広大な新しい大地北海道は、わずか100年の間に世界で類例を見ないほどめざましい発展をとげております。
これはひとえに、未開の大地に挑戦して血のにじむような苦闘をつづけてきた先人たちの開拓者精神と、それをひきついだ道民みなさまの刻苦勉励のたまものであると思います。
今日、日本を訪れる外国人たちが必ずといってよいほど北海道をみたがり、「北海道を見ずしては日本を見たと言えぬ」と、口をそろえて言いますが、これをみても貫道が日本全体においてどれほど重要な位置を占め、また魅力的な所であるかを端的に語るものと思います。
いまや、北海道の歴史に1世紀を画すことになりましたが、この意義深い時点に立って、みなさまは北海道の過去100年間に歩んできた足跡を顧みるとともに、その基盤の上に雄大な潜在力をいっそう開発して、より大きな発展と飛躍を重ねますよう、祈ってやみません。[6]
国務大臣・北海道開発庁長官
木村 武雄
日本の近代は〝明治〟にはじまる。そこに〝日本の夜明け〟がある。北海道の開発は、まさに、日本の近代化とともに歩んできた。あるときは、日本の脱皮に寄与し、あるときは、日本経済発展の踏み台となった。しかしながら、いつの時代においても、北海道は日本の新天地であった。
それだけに、自然のきびしさと内国植民地的陰影をこえて、そこには日本の夢があったといってよいであろう。今、北海道百年の竿頭に立って、過去1世紀にわたる波乱をきりぬけて到達した経済社会の進歩と繁栄を顧みるとき、私は、うるわしき国土によって生きぬいてきた民族の生命力とたゆまぬ努力と創造力に、ひたすら思いをいたすのである。同時に、この後100年の未来に託す豊かな期待が、このような民族の英知のゆえに夢をこえて現実のものとなることを、深く信ずるものである。
この間にあって、北海道の開発は国民経済の要請にこたえ、国際社会に雄飛すべきわが国経済社会の絶えざる〝フロンティア〟として、自律性と主体性のもとに積極的に展開されることとなるであろう。
かくして、21世紀の北海道は、かつての最北端の〝えぞ島〟から一転して、豊かな大自然と調和した北方圏文化の粋をあつめて、耀進する日本列島の頭部としての位置に立つであろう。私は、北海道総合開発にたずさわってきたひとりとして、このような北海道の将来に心から期待を寄せるのである。[7]
【引用出典】
[1][2][3]北海道百年記念施設建設事務所「北海道百年記念事業の記録」1969・23〜25p
[5][6][7]北海道百年記念施設建設事務所「北海道百年記念事業の記録」1969・37〜39p
[4]北海道百年記念施設建設事務所『北海道百年記念事業の記録資料編』1969・371P
【写真出典】
①②③北海道百年記念施設建設事務所『北海道百年記念事業の記録』1969・23〜25p
④『グラフ北海道1968』1968/9/10・北海道新聞社