北海道の歴史・開拓の人と物語

北海道開拓倶楽部

【沼田】大正12年 幌新ヒグマ事件(上)

史上二番目のヒグマ災害

 

道東地方を震撼させたヒグマ「OSO18」が駆除されました。北海道のヒグマ事件といえば、「苫前三毛別事件」が有名ですが、今回紹介するのは、苫前に次ぐ惨事として知られていた沼田の幌新事件です。2回にわけて紹介します。

 

■苫前に次ぐ開拓期のヒグマ惨事

令和元(2019)年から標茶町などで牛66頭を襲った凶悪なヒグマ「OSO18」が駆除されました。この事件は、開拓時代に入植者を恐怖させたヒグマの脅威が昔話では無いことを教えました。
 
北海道における開拓時代のヒグマの惨事といえば大正4(1915)年に苫前町で7人が犠牲となった「苫前三毛別事件」が有名ですが、今回紹介するのは、苫前の惨事に次ぐヒグマ事件として戦前には知られていた沼田町の幌新事件です。
 
大正12(1923)年8月21日から24日にかけて4人が犠牲、一人が重症を負いました。昭和45(1970)年の『沼田町史』(沼田町史編纂委員会)掲載の「凶悪無残、幌新の人食いクマ」を、上と下の2回にわけてお届けします。
 

■恵比島の太子祭り

大正12(1923)年8月21日、それは恵比島市街の太子祭りを見物して帰りの夜、幌新で発生した事件である。
 
お祭りの余興には、浪花節や人情ものの芝居があった。当時この地区は入植後10余年は経過していたというものの、まだまだ開墾間もない状態で、道路も悪く、めったに恵比島や沼田市街に出る機会がなかった。
 
沼田市街の大正座ではいつも活動写真や芝居は上演されていたが、わざわざ幌新から歩いて恵比鳥駅から汽車に乗り、娯楽を求めて沼田市街に出るというような人は全くなかったのである。
 
そうしたなんの慰安や娯楽もない幌新の一部や支線の沢の人たちにとって、お祭りの余興である芝居や浪曲は何よりの魅力であり、興味のあるものであったから、部落の人たちは打ち揃って四~八㌔もある恵比鳥市街へ出て行き、お祭りの余興を楽しんだのである。
 
そうして余興の終わった夜の11時過ぎとなり、支線の沢の人たちの1隊12~3人と、本通筋の人たち1隊10人ほどが、虎杖の葉や芒の穗をサラサラとなびかせる初秋の快い夜風を肌にぜじながら、先刻の浪花節の話や人情劇に感激したことをこもごも話し、いつも通る道を家路に辿りつつあったのは、すでに12時を過ぎていたであろう。したがって、この事件は正確には8月22日、未明から突発したことになる。
 

 

■村田少年一撃のもと惨死

さて一行が幌新本通に面した面した沢に差しかかったとき、突如、薮の中から真っ黒い巨大なものが飛び出してきて、行列の先頭になって提灯を持っていた村田幸次郎君(15歳)に襲いかかり、いきなり持っていた提灯を叩きつけるとともに、アッ言う間もなく一撃のもとに村田君は倒され、一言の声も発しないまま絶命してしまったのである。
 
一同は「クマだ!」と思うひまもなく、次に村田ウノさん(56歳)に襲いかがってきた。
 
その傍にいた息子の村田由郎君が、母親の危急を助けようとして庇ったため重傷を負い、また林謙三郎さん(元町議)も、いきなりそのクマに後ろから帯をつかまれたが、元気な林さんは力いっぱいに暴れ回ったため、ようやくクマの手から逃れることはできた。しかし着物はクマの爪でズタズタに引き裂かれ、帯も切れ切れになって大怪我をした。
 
そうして一同は恐怖に戦き、周章狼狽して逃げ出し、やっとその現場から一番近い持地さんの家へドッとなだれ込んだのである。そのころはすでに先ほど殺された村田君はクマに食われつつあった。
 

■持地さんの家を破ってクマが侵入

持地さんの家では、ちょうど寝たばかりのところだったが、血相を変えて駆け込んできた一同の「クマだ! クマにやられた」という言葉を聞き、さっそく炉に薪を投げ込み、どんどん火を燃やしてクマが家に近寄ってくるのを防ごうとした。
 
しかしそのクマは、死体となった村田君の内臓を食いながら、のっそり、のっそりと一同の後からついてきたである。恐ろしさのあまり後ろを振り向く者はだれもいなかった。
 
やがてクマは一同が逃げ込んだ持地さん宅の裏へ回り、そうして家の中の様子を窺っている様子であったが、問もなく玄関の戸をゴトゴトと破り始め、そしてドンという音がしたかと思うと、その戸は一撃で破られ、それと一緒にそのクマが家の中に躍り込んできたのである。
 
さあ、こうなると大変だった。家のまわりにクマが近づいたことを感じた一同は、押入れや奥の間に息を殺して隠れていたが、血相を変え死にものぐるいで、われ勝ちに外へ飛び出した。
 
クマは家の中に入ると、すぐに炉に燃えている火をその大きな手で叩き、消してしまったのである。
 

ヒグマ①

 

■村田ウメさんを食い殺す

クマはしばらく焚火の燃え残りを踏みにじっていたが、座敷まで上がってきて四方をキョロキョロ見回し、そのまま表に引き返そうとしていた。
 
ところがこの時、先刻襲われて怪我をしていた村田ウメさんは、急に動けなかった。ようやく気を取り直し、押し入れの中から這い出してきたところをクマに見付けられ、あれよあれよという間に、クマは両腕にワメさんを抱き込み、引っぱって飛ぶように山の方へ駆けてしまった。
 
ウメさんははじめ「助けてくれ! 助けて――」と二、三度、叫んだ後は、息も絶え絶えに幽かな念仏を何回も何度も唱えていたが、その声も暗がりの中にしだいに弱く、途絶え、途絶えとなり、あとは野分する秋草の音のみ、寂として何も聞こえなくなってしまった。
 
さてウメさんが攫われてしまった後の一同は、そのクマが立ち去るや現場に火をどんどんと焚き、その夜はまんじりともせず恐怖の一夜を過ごしたのである。
 

 


【出典】
沼田町史編纂委員会編『沼田町史』179p~177p(1970)
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