北海道の歴史・開拓の人と物語

北海道開拓倶楽部

 
厚田村聚富からの転住地を求めて仙台藩岩出山領旧家臣阿賀妻ら一行は噂に聞くトウベツ原野へ探索に出ます。原野を行くこと3日目、一行は当別川に出会いました。ここを下れば石狩川。伝え聞くトウベツ原野はその向こうです。リーダーの阿賀妻は、玉目三郎と案内人一人を先行させました。本庄陸男『石狩川』第1章の最終節です。
 

阿賀妻一行が辿ったと思われるルートを明治時代の古地図に今節の終わりまで示してみました。
石狩川の流れは現在と大きく異なります。
地図では生振、当別あたりに植民区画の区割りが示されていますが、
阿賀妻の時代は森の深い釧路湿原のような場所でした。

 

(五)

 
くるりと踵をかえし、玉目三郎は川下に向って歩きだした。うしろには、例の猫背の男が鼻汁をすすって従いて来た。彼は泣いていたのだ。便宜のために傭われたものであるという自分の立場は、そのときを境にして消えてしまった。
 
一行の悲しみや喜びは、じかに彼の胸にせまっていた。彼らよりも一層投げやりにそれを表わすことが出来た。歩くにつれて腹の底に落ちつくこの感動は、阿賀妻らに対する畏敬に変って彼の頭を熱くするのだ。手当り次第――誰かに向って喋にはいられないような胸のつかえでもあった。
 
「だんな?――もし?」
 
彼は追いすがるようにして呼びかけた。――あの大将は並大抵のえらぶつじゃアありませんぜ、
 
と、彼は云いたかった。――そうだ、その通りだ、と答えて貰えそうな気がしていた。
 
玉目三郎は浅瀬をこぎ渡っていた。水の音が人夫の声をかき消したのであろう。むろん人夫も返事をたしかめるひまはないのだ。濁った川にじゃぶんととびこんだ。汀(みぎわ)には柳のわくら葉がうちよせられていた。蹴立てるようにして急いだ。
 
両岸がだんだん低くなるにつれて水量が増して来た。もりあがる川面には粘質土壌の色が濃くなっていた。川は平地にうねって渦巻きをはじめた。容易に捌けぬと叫ぶようであった。先がつかえているために止むなく逡巡して、何かそのことを憤っているような川鳴りの音であった。
 
「もし」と人夫は呼んだ。
 
立ちどまっていた玉目三郎の眼が光った。なんだ?――と聞きかえしていた。
 
「もう行けませんぜ、ここんところは――岸にあがりましょう」
 
川面の方にいくらか傾いたドロ柳が、雨のあたらぬ木肌を白っぽく見せていた。
 
「わしが先に立ちましょう」
 
人夫は軽いしょいごの肩を揺って、ヨシのしげみを圧しわけた。
 
「路はあるのか」
 
「川があらアね」
 
――これさえ見えているならば踏みまよう気遣いはいらない。通ずるところに通じているのだ。言外にそういう確信をほのめかし、人夫はばさばさとヨシの中に歩いて行った。
 
はね返って来る強い草の茎を横踏みにして玉目三郎もつづくのであった。もとより路などあろう筈のないことは、覚悟の上であった。心弱くそんな言葉がふッと出たのは、彼の気持の焦りなのだ。出来るならば今日のうちにでも帰って来たいと思っている。そこでは、飢えにさらされている仲間の生命が彼の心を信じている。それだけではなかった。彼らのうしろにいる家中の面々が、熱っぽい眼を光らせて自分を待っているのだ。
 
その中には彼の若い妻もいた。口には抑えているが、心のうちの淋しさは思いやられるのである。抱かれて慄く彼女の肢体がそれを語っていた。戦乱に駈けずっていた男を、じっと待っていた新妻であった。無事でようこそと、ほッとするひまもなかった。あわただしい移住の企てであった。そして――うん? と彼は考えた。彼女は苦しげにものを嘔げていた。早く帰れとは云わずに、瞳をうるませた女であった。
 
こういう場合にうまれて来る新たな人間の生命はこれからどういうことになるであろう――親たちは、三日が三年にも値するような日に出あって、若い日をめちゃくちゃにした。それでも生きのびようとあせっている。
 
「おい!」と彼は呼びかけた。何か、つまらぬ話をしたかった。
 
人夫はそれどころではなかったのだ。
 
沼から来るという川は、その沼川の口にあたって、戸まどい流れ、水面をひろげて低い岸にあふれあがっていた。疎らになり、やがて、痩せた灌木となるヤナギの木も姿を消した。あとはまた茫洋としたヨシの草野であった。
 
地下茎の上に地下茎を伸ばし、その上におのれの葉や茎を腐らかし、またその上に根を張り、葉をしげらし、枯れ頽れ、――積みあげ積み重ねた数えきれないほどの春夏秋冬が、踏めば沈むような低位泥炭土をつくっていた。水はその土の隙間をとおって散らばり、随法なところに淀んで沼となっていた。
 
「どうした?」と今度は玉目三郎が声をかけた。
 
「はて」と、人夫はのびあがって草の上を見まわした。
 
川筋が見えなくなったのだ。いや、川はあたりに一っぱいあった。白く光る水面は前後左右にある。本流が見えなくなっただけであった。
 
「ちきしょう――さすがの大将も、この雨は予算に入れなかったわい」と人夫は呟いた。
 
「また迷ったのか」
 
「つまり、ねえ――もっとも」と人夫は自分に問い自分に答えていた。
 
「こう雨が降れば水がふえるのは当りまえなわけだ、しかし、そんなことに構っちゃおれない場合だったことも本当だ。まったく――ねえ、だんな?」
 
彼ははじめて玉目三郎をふりかえった。
 
「こうなったら仕方がねえ――行きましょうぜ、あっち」
 
手をあげて指さした。野草の彼方にもやもやと見えている樹木の繁みらしいものであった。
 
「あれは、こう、こう――と」と、彼はその手で距離と方面をはかりながら説明した。
 
「どうしてもイシカリ川にちげえねえです。斜かいに行けばよっぽど道程も得になります、ようがすか」
 
「よかろう――」
 
「わしの記憶に狂いがなけりゃア、あしこにはアイヌの小屋があるはずです。やつらの丸木舟もあるでしょう。やりますか?」
 
彼は背中の弁当包みを揺りあげて見せた。
 
「お前こそ空いているだろう?」
 
「なにがあなた、一度や二度喰わなくったって――」
 
人夫はまた歩きだした。彼の眉宇はひきしまった。見とおしもついて来た。どこか地の底をふるわせて、本流の重い水音も聞えるようであった。見知った川筋も間近かであった。おのずから湧く自信ある態度がずばずばと云いきった。
 
「どっちにしろ楽な路じゃありませんぜ。いつどこでどうなるかも判ったものでもありません。我慢出来るだけ我慢することだ。苦労はお互いというものだ」
 
急がずあせらず、草に埋もれて堂々と進むのであった。
 
「何里ある?」
 
「ツイシカリから十里というから、まだここからだらば六里と何ぼかと見れば間違いねえでしょう。途中には部落も出来ています、なアに、舟で下れば一息だ」
 
「どこにその舟がある?」
 
「心配しなさんな」と彼は成算のあるように大きく頷いた。
 
「お前はいつごろから当地にまいった?」
 
「はやい話でさ――」と彼は口をつぐんだ。
 
ご一新の前も何年か昔のことであった。彼は、石狩場所を目当てにして募られた漁夫のうちにいた一人であった。
 
そう云えばまッ当らしいが、それから以前のことは、聞かせたくもなければ思いだすのも億劫なのだ。概して昔のことは考えたくない彼であった。勿論行く末のことは神さまだけしか知らないだろう。魚猟のあとをおいかけてずるずると遠い辺土に踏みこんでいた。
 
人々の目がこちらに向って注がれたとき、彼はひとりでに、往来するものの先達に仕立てあげられていた。道路のない土地では、人は取りあえず川に沿って歩いた。イシカリ川はその幹道である。
 
雪の絶えないヌタクカムウシュペの裾を西に折れ、山峡の低みをかけおりた水は、急湍となって川上の浸蝕谷をよぎる。やがて盆地の水々を集めて西の壁である中央山脈につき当った。かたい古生層の岩角をつき破って湧き立つ奔流となり、イシカリの野に噴きだした。そこから南に下って一帯の凹地を回転しながら流れて行った。
 
幾度となく河床を変え、三日月なりの水溜を置き去りにした。それでも水は多すぎたし、勾配は緩やかすぎた。岸からはみだして附近の土地を濡した。うろうろと原野をさまよい、ゆるりゆるりと流れひろがるのであった。数々の草や木は、その水に向ってたたかい挑んだ。根を張ろうとあせるのだ。
 
季節が来ると川はあふれた。木の根や草の芽は鎧袖一触であった。堅い岸べもぽこりと削りとられた。すると、辛酸した植物どもの営みは、まっさかさまであった。水は顛落するものを何でも呑のみこんだ。黄泥色の濁りに底うなりを立てて蠢動して行った。ときどき野鴨のがもの群れが羽ばたいて翔び立った。
 
ただひとつ、用心ぶかく、手をとりあい足をからめあってじりじりとひろがる選ばれた草があった。強い地下茎をもったヨシ、ススキ、スゲの類であった。ミズゴケ、ハコベ、ヨモギなどがそのあとにつづいた。彼らのひげ根は、水に洗われていよいよかぼそく白く、生きもののようにふるえ、しかも川筋をさえぎり捻じ曲げる力をもっていた。
 
いの一番にこの川を見つけたのは、肥え太った鮭の群ででもあったろうか。それを餌食とするアイヌが、追われながらやって来た。それから永い時代を経て、われらの父祖のあるものが足をふみ入れたのである。
 
彼らのうちの一人である佐藤行信は『蝦夷拾遺』に書き記しるして云った――「イシカリ川、その源は遠く山間に発し、委蛇(いい)として西海に入る、沿岸は渺漠(びょうばく)たる大原野ありて四方便利の地たり、これを開かば一大国府となるべし」
 
ついで、著名な探険家であった近藤重蔵は時の政府に「イシカリ川の義は、総蝦夷地の中央第一の大河にして、水源までおよそ百里の間、左右うち開け候平地沃野のみにて樹林鬱茂、夷人所々に住居、川上まで、夷人粮魚(りょうぎょ)おびただしくこれあり」と書をたてまつった。
 
こうして、人々の注意がこちら側に向いて来た。間もなく行動に移ろうとしたとき、しかし、彼方には政権のうつり変りが行われた。不満なものの動乱がつづいた。そして、勝ったものは支配者であり、同時に、敗れたものは居たたまらなくされたのだ。あるいは脱れてやって来るものが踵を接するようになった。
 
川は吼りをたてて流れていた。
 
「ようやく来ましたぜ」と案内人は叫んだ。
 
「これがあなた、イシカリ川、しかし――」
 
「ほう――」と玉目三郎は立ちどまった。
 
水は押しあいへしあい盛りあがっていた。自然の堤防である足もとの笹やぶも半分は水に蔽われていた。その中に生えたニワトコの二三本が、赤い実を泥水によごしてふるえている。
 
ここまで目あてにして来たヤナギの木群れは、そびえた梢でおんおんと呻いていた。その樹間にある草小屋には案のじょう人の気もなかった。
 
一つの幹につながれた丸木舟がたかく浮きあげられていた。
 
「舟はある」
 
「そうですよ、あるにはありますが」と、案内人も立ちすくむのであった。
 
「どうした?」
 
「この水ですからのう」
 
彼は、見あげるように増水した川を眺めて考えていた。
 
中流の水はとてつもない大きな塊であった。ごろんごろんと転げるように動いていた。もくりと崩れる渦巻が強い波紋をひろげていた。
 
「とにかく何だ――腹をこしらえましょう」
 
「ほかに路は無いのか」
 
「ない――ありゃしない――いま歩いて来た通りだ」と、人夫は俯向いて云った。
 
趾の先で土を踏みにじりながら「しかし、向う側には、あることはあるんだが――あちらは何と云っても官のいる方面だ、ひらけかたも早いですねえ、少しまわればイシカリ通いの道にも出られないことはない、それにしても」
 
川水は刻々増して来るようであった。一瞬のうちに余程ふくれあがったように見えて来た。
 
「――漕いで渡らなければならぬとすると」と、案内人は顔をあげた。
 
「渡って貰おう――」と玉目三郎は即座に云った。
 
「渡りますか?」
 
「渡る」
 
人夫はちらと相手の腰のあたりを見た。簑の間から例の脇差がのぞいていた。
 
「渡りやしょう。思い切って、ほかにゃアどうする手もねえんだ――とにかく、腹をこしらえなくっちゃ」
 
それからあとの彼らは一言も云わなかった。幅せまく刳(く)りぬかれた舟の長さと波のうねりの大さとは、彼らの眼がとっくに比較していたのだ。
 
むろんこの人夫は、舟を操ることでは、ずぶの素人とではなかった。それだけに彼の気分は重苦しかった。横ともなく縦ともなく、川波は随意に泡だっていた。それを押しきらねばならぬのは玉目三郎の気持であった。それもまた人夫には、自分の掌(たなごころ)を見るようにはっきりとわかっていた。
 
草小屋のなかは空っぽであった。いつの日かに何処の人間が火を焚いたのであろう。煙のにおいがほのかにただよっていた。丸太材をならべた床に腰かけて湿った弁当をつかった。腹の底から冷えて来た。どうしようもなくがたがたとふるえていた。その唇をかみしめて立ちあがるのであった。
 
二人は一人になっていた。ひとつの意志が別の身体を支配しているに過ぎなかった。片方が小屋のなかから櫂(かい)と棹(さお)を持ちだすと、他方が丸木舟の綱をひきよせていた。
 
岸にごつんと当って乗りあげた舳(へさき)のわきから、先の男がとびこんだ。水垢を掻きだした。綱をたぐった他のものが舳を川下に向けて押しこくった。棹は斜めにかまえられていた。ぐらつく舟は前と後に重みをつけ、拍子にずしんと水をおし退けた。岸べづたいに舟は流れだしていた。
 
水に浮ぶと、川は限りもない広さであった。流れは一棹押して離れるごとにもりもり逞ましくなった。棹は役に立たなくなった。手早く櫂と取りかえた。中流に漕ぎだそうと悶えている丸木舟を、立ちさわぐ波はせせら笑っていた。対岸は徐々にむしろ遠ざかるかと思われた。間近かに迫ると、のしかかって来る濁流であった。
 
暗い雨空をうつした上に、泥土や砂礫されきを溶しこみ、くすぶった色でさまざまな流木を内部にかくしていた。舟はつきとばされるのだ。そうして、大きく迂回する正面の淵に向って、まっしぐらに押し流されだした。
 
櫂をあやつる人夫と背中あわせになり、両脚を舟ばたでささえた玉目三郎であった。襲い来るうしろの敵に棹を構えてそなえていた。波間に浮き沈みする木の枝や草の根のかたまりは、流れの強さと共にすさまじくなって来る。ついと押しやったあとから、ぬっと頭をあらわす新たな伏兵には限りがなかった。
 
「たのむぞ」、「しっかり」と叫ぶ声も胸の中だけであった。舟は角度をつけて泳ぎ渡ろうとしていた。流れはそうさせまいと舟のつくる斜面にまっ直ぐにぶっつかった。
 
それでも漕ぎぬけようとした。するとまた、更に頑強な新手が加わって来た。流木は次第に大きく重くなった。ながい間水に浸されてかちかちになり、時を得て猛然と暴れだしたかのようであった。
 
川は、どーと当ってがっと渦巻く淵に向って近づいた。丸木舟は右か左に避けねばならなかった。もはや操縦は神の意志であった。考えているひまはなかった。立ちあがった二つの人間が、櫂と棹を鞭のようにひらめかした。
 
しぶきが彼らを包んでときどき見えなくした。扁舟(へんしゅう)と云うよりもまだ危げであった。大きな波のうねりが姿をかき消し突きあげた。対岸へ対岸へ――と、それでも身もだえする。はためく大きな布の上を、秋の羽虫のよろめくに似ている。
 
飛沫をあげて流れる巨木が、おもい重量と、いきおいづいた加速度でまっ直ぐに奔っていた。偶然がその舟と衝突させたのであろう――しぶきがちらちらと見え、ふいに何もかも消えてしまった。
 
ごうごうと底鳴りをしている川に、濁流は漫々としてあふれている。
 
 

 

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