阿賀妻謙 本府札幌に向かう
旧岩出山伊達藩当主の伊達邦直(作中では邦夷)に見送られ、吾妻謙(作中では阿賀妻謙)は、トウベツ原野への貸下げ地変更を申し出に厚田村聚富を立ちました。『当別町史』(S47・77-78p)ではこう紹介されています。
(明治4(1871)年4月)かくして踏査隊一行は16日暮れ時になってシップヘ帰着した。19日午後、邦直は石狩役所へ赴き、富田少主典と会い、願書と見取図を提出した。24日、札幌本府より、当別を踏査した者一人出向くようにと呼び出しがあったので、吾妻が札幌へ向かった。
岩出山藩度の貸下げ地の変更願はこれで3度目。すべては吾妻の交渉力に係っていました。
小説『石狩川』では、厚田から石狩を経て本府札幌に向かう道中と、思わぬ人物との遭遇、そして開拓中判官・堀基と面会するまでが描かれています。
第二章
(二)
ほのぼのとした黎明が東の空から湧いていた。水のような明るみを背後に受けて、阿賀妻はさされた盃をおし頂いた。従僕が徳利の口をおさえて酒を注いだ。なみなみと満して、たゆたっている。暁の白さが、そのささやかな波に反射した。両手にささげてぐっとそれをあおった阿賀妻は、右手に滴をきりすて、西に連る海を見た。波頭がくだけて浜辺に近い小屋からのぼる炊煙がうす青く目ににじんで来る。
「ご返盃――」と彼はささげた。窓からこぼれるランプのあかりが、彼のざんぎり頭に赤く散った。
「どうであろう?」
盃をとって、酒を注がせていた邦夷はそう云って脚をはだけた。腿の上に肱をのせて幾らか前屈みになった彼は、旅支度の男の眼をのぞき込むようにした。
「大事なかろうと思いますが」と阿賀妻は云った。
「ふん」と頷いて邦夷は盃をあげた。ちょっとの間黙っていたが、思いだしたように盃をつきつけて、「どうかそうあってほしいのう――」と、多分に呟きの口調で云いつづけた。
「ツガルの海では、すべての船が難破いたすのであろうかのう? こうして海を見ながら、船を待っているわれわれの心が通じぬのか、高倉はまだ戻って来ぬ」
廻送米を待っているのだ。従僕のささげた盆のうえにその盃をおさめた阿賀妻は、「何分とも――」と立ちあがった。膝頭の砂をうち払って、それとなく主人の言葉を待った。
「飢餓も目に見えている。今回、トウベツの地を得るや否やは、われらの危急に関すること」
「しかと承知いたしております」
よし、よし――と目でうなずいた邦夷は、さア行ってくれというふうに顎をしゃくった。
早朝の露っぽい路が海岸に向けて、ぼんやり見わけられた。砂浜に出て、それはイシカリの港に到るのである。地表には靄が立てこめて、おぼろな薄明が野に吸われつつあった。いくらか下り勾配になったその路を、阿賀妻はすたすたと歩いて行った。切り株に腰かけた邦夷が塑像のように堅くなって見送っている。前向きの阿賀妻に、背後のそれがありありと見えるのだ。思うことの十分の一も口に出して云えず、潜ませた瞋恚(しんい)は奥歯のなかで人知れず軋んでいるにちがいない。
まがりなりにも城主であったものが、仮小屋のなかに孤りで起居している姿は哀しかった。もとの家臣にとっては気持の負担であった。本来ならばそういう苦しみはすべて家臣が引き受けるものであった。封禄の授受のある限りは少しも不合理と考えられぬ観念であった。しかし今日は異った。しかしまた、事ここに到っては、再びその紐帯にたよって――つまりはその関係を利用することによって、刻下の危機をきりぬけねばならぬところまで来ていた。
阿賀妻の腹は決っていた。万一ともこの交渉が失敗したならば、責は彼自身のものであって、それ以外ではない。彼らの父祖が訓えたように、相果てるまでだ。すると、残った彼らの一団に傷はつかないのだ。従って、打開すべき新たな方法も浮んで来るであろう。――その積りで、と、言葉としては云わなかったが、盃を渡す邦夷の胸中にもそれが書かれていたと思わねばならない。
阿賀妻はこれから乗りこんで行く開拓使庁のことを考えて武者ぶるいを感じるのである。朝凪ながら海近い空気の冷たさであったのか。こめかみがうずくような清冽なものに打たれ、立ちどまって深い呼吸をはきだした。
軍門に降ったとは云うものの、一度は憎しみをもって対峙した薩摩の人間であった。時代は変ったにしても、その間わずかに二年しか経ていない。敵と思った彼らの胸の底には、敗北した恨みとともに、消しがたい反感がくすぶっていた。彼らが支配者として自分らの上に立ちあらわれたという味気なさ。こちらの困憊とは反対に、刻々に、彼らが政権の基礎をかため、人心を収纜しているという否定し難い事実の圧迫。誰が彼らの失策を祈らなかったものがあろうか。しかし、みごとに彼らは成功しているのだ。
昨年まで函館にあった庁舎は、今年、融雪期とともにゼニバコに移り、そこからサッポロの都府築営を監督して、いよいよ先日移転したというのである。堰をきって溢れだすように、時の勢いに乗った彼らのすさまじい進出は、海浜の草小屋に焦慮していた阿賀妻らの耳にもごうごうと聞えていた。
ヨモギにからまって野エンドウの蔓が紫の花をひらき、ハマナスが赤い花托かをカヤの間に伏せていた。野はそこで切れて、路は砂浜に凹むのである。阿賀妻は足をとめて振りかえった。彼らの草葺くさぶき小屋との間には、ナラやヤナギの灌木がつづいていた。土地が悪いため、海風が吹きつけるため、永久に育ち得ないそのままの姿で立っているような、低くて節くれ立った矮樹の群であった。
誰の姿も見えなかったが、誰にともなく手をあげて挨拶をした。それから砂の路にとび下りた。さくりさくりと踏みつけて砂丘の裾をまがって行った。ひろい浜べの高低起伏は、砂の山や谷である。海岸づたいの路は、ときには砂丘のかげにかくれ、浪なみに洗われた。
どーん、どーん――と浪はうちよせていた。音のあいまに、阿賀妻は自分を呼ぶ声を聞いたように思った。ぎょろりと周囲を睨ねめまわした。おのずから身構えが出来ていた。そして、砂の凹みに足を進めたとき、彼はその目の前に跼(かがま)っている若い女を発見した。
一瞬眼をこらして見つめた。こちらを向いて膝まずいている。その服装は、附近の土民や漁夫のものではなく、あきらかに家中のものであった。しかも容姿をととのえて、砂の上に端座して誰かを待っていたのだ。この季節のこの時刻に、誰がこの路を通るというのだ? ――阿賀妻以外ではない。
「お待ちしておりました――」
彼女は両手を砂に刺しこみ、きっと顔をあげた。眉の剃あとが青かった。ふくれた二重まぶたは上下にひき開けられていた。蒼みがかった眼球の中央に、瞳は黒ずんで動かない。むすんだ唇にはおはぐろの色がにじみ出している。
女に路先をよぎられた阿賀妻は見る見る不快げな顔になった。それは迷信と知りながら、もう制御しきれない怒りに近い気持であった。短かく、ぶっきら棒に彼は云った。
「何か、用か」
「はい」
「拙者は急ぎの身体――おてまえはどちらのお女中じゃ?」
彼は女を避けるように大まわりして歩を運んだ。つきとばしてしまいたかった。せまい女心は、気が狂ったのかも知れないと思った。苦労は十二分に――阿賀妻こそ、それを甞めつくしている。
「はい――」と彼女は目を伏せた。
えり首や、鬢のかげにふっくらと――動くたびにちらついて見える桜色の耳朶などを見おろして、彼はちょっとの間その返事を待った。若い人妻はむせび泣くように見えるのだ。阿賀妻は二三歩傍らに出た。返事があるまで、こんなことに関ずらっている余裕はなかった。そして、歩き出したとき、彼女は呼びとめた。
「あの――」
「拙者を阿賀妻と知って、おてまえは呼びとめられるか」
「はい」
「どなたなれば?」と彼は咎めるように云った。
「玉目三郎の――」と、それだけ云って彼女は砂につっ伏した。
阿賀妻は棒立ちになった。
「うん」
彼はうしろ向きのまま、深くうなずいてゆっくり腕を組んだ。忘れたわけではないが、とにかく、忘れていたのだ。身分の相違と、仕事の忙しさは、あの男の妻としてこんな可憐な女がいたなどとは、考えてやるひまもなかった。
思い出したように肩をふるわせている若い女を見て、彼ははじめて、沈うつな――哭するような顔で別れた玉目三郎を憶いだしたのである。――何故かその女を見ていると、玉目三郎はやっぱり溺れたにちがいないと思われて来た。
「それで?――」と阿賀妻は促した。
「ご家老さま」と彼女は、あたりを見まわして寄りそうようにした。誰も見てはいない。聞いてもいない。明け放れた空に浸みとおった朝日の黄色っぽい色と、これもまた、愈々あかるい色になった砂の山々であった。その砂に生えた儚なげなハマナスが、彼女の膝の下で赤い茎をおしつぶされていた。話しているうちに彼女はそれを、こまかい棘のある小枝のまま、むしり取っていた。
「ほんとのことを聞かせて下さいませ。玉目はどこに行ったのでございましょう。仰せの通り、氾濫する川すじに道をあやまって命をおとしたのでございましょうか。――それに間違いはありますまいか? そう信じてもようございましょうか――。あるいは、もしや、と夜の目も睡れぬのでございます。
ご家老さま、日ごろの玉目の言動がどんなものであったかは女の口から申しあげるまでもなく、あなたさまこそ逐一ご承知のことと存じてはおりますが、それなればこそ、ふと耳にはいる蔭口に、わたくしは身の置き場もないほど苦しいのでございます。
ご家老さま、玉目はこのたびの移住の計画に、あいそを尽かしていたでございましょうか。これを機会にと、果して逃亡したのでございましょうか? どうぞ、ほんとのことを教えて下さいませ。取りみだしは致しません。わたくしにも覚悟はござります。蔭口のなかには、いっそそれが、かえって利巧ものかも知れないぞ――と」
「だれがそのようなことを申しおった?」
阿賀妻は砂を蹴立てた。気を立てた女が云いすべらした言葉とは云え、人々の心が白々しく見えて来るのだ。
「はい」と彼女は唇をかんだ。
「玉目三郎どのは、な――」と彼は云った。
「おてまえの夫でござろう。われらを裏切るような人物ではありません。そのことは、殿よりも篤とおはなしがあった筈じゃが」
「ございました――けれど」
「今日まで帰って来られぬのは、あの出水でみずに無理をなされて、思いがけない――」
女は突然、跳びあがって叫んだ。
「それではどうしても死んだのでございますか。あの、水におぼれて?――あたくしの玉目が? 水におぼれて」
顔をおさえて彼女は走った。その姿が彼らの聚落の草やぶに消えてしまうまで彼は見送った。いずれにせよ、彼女は、とにかく生きていて貰いたかったのだ。それだけであった。
(三)
目をひるがえすと、青い海のなかまでそのイシカリ川がのさばっている。年中澄むこともなく泥土に汚れている水は、先日来の氾濫のなごりを見せて一層重々しく濁り、一層猛々しく押しだして行った。海水とは容易に混ろうとしない。はっきりけじめをつけた異質の水は、当分のあいだ、海の中にその川を描きわけて見せる。岸をうつ波のうねりは、河口一円にわたりて大きな弧をつくり、何故か敬遠して途中でびちゃびちゃと消えてしまった。
河水は洋々と間断なく海の中におしこみ、捻じこんでいた。
その南の岸辺に柳の木が成育し、従って土がかたまり、人々の足だまりが出来た。家々が低く点在してイシカリの港町をつくっていた。
北から海岸づたいにやって来た阿賀妻は、古びた家々の間で、本町通りのあちらの岸へ渡船を待たねばならなかった。
川風は水気をふくんでたたきつける。
そこから見あげる位置にある恵庭の嶺にはまだ雪のひだが畳まれていた。六月だというのに、はるばる吹きおろして来る風は野の草や木をちりちりと慄ませていた。重畳としたそれらの山のふもとにあたって、川は、のっそりと、最後のうねりを押しのばしていた。相も変らず黄いろい泥をふくんで、見るからに粘ばつくような水が、表面だけ、吹きつける風に申しわけのような波を立て、底知れぬ重みをもって動いていた。その口にあるのが即ちこのイシカリの街。
西蝦夷日誌の著者をして「サッポロに府を置き給はゞ、不日にして大阪の繁昌を得べく」と云わせた予測が実現されかけていた。軒を並べた人家があり、道は踏みかためられて当路の要衝となっている。西えぞに必要な人と貨物が先ずここに陸あげされるのであった。
埠頭にもやった四五はいの船も足をたかく見せていた。荷をおろして一呼吸いれている姿であった。荷役の掛声も揺曳していた。そこから、或いは川瀬舟に積みかえられ、または駄馬の背によって彼らのサッポロに送り届けられるのであろう。
撓む艪に押されおされた渡し舟は、ゆっくりと大きな半円を描いてずしんと南の岸にぶっつかった。その足場にとびあがった阿賀妻は、咄嗟に、官員の土地を感じた。誰一人として彼を見かえるものもなかった。それぞれの営みに熱中している木の香の新しい家が、市街地をひろげていた。深い軒のおくに、下手な勘亭流の文字を書きだした酒屋などが表通りに目立った。
ここからの陸路を左に取れば、おのずからサッポロに辿つく。人馬の往来も目立つようであった。官用の路は踏みかためられていた。
しばらくは恵庭の山をま正面に見て歩いた。昨年歩いたこの路を、今は逆にとって急いでいるのであった。春を追いかけて陸前の地を旅立った彼らは、三月の下旬にはこの道を歩いていた。日蔭の窪地にはまだ雪が残っていた。萌えだした雑草が路を塞いでいた。嫩い木の葉は浅黄色に陽を透していた。雪どけ水を湛えたイシカリ川が、その時は右手に、枯れた前年のヨシの穂のうえに、または木立の隙間に隠見していた。
東蝦夷からシコツの山を越え、彼ら一同百六十名の老幼男女がはるばるとやって来たのである。この大きな川を渡って行った――彼が今朝がた出て来たシップと云う土地に行きついた。そこに落ちつくのをただひとつの楽しみにしていたことである。
しかし、今、その川を左に見ながら急いでいる阿賀妻は、今日限りあの地で受けた幻滅をかなぐり棄てる覚悟であった。つくづくと見まわした沿道の風景はまだ記憶に生々しい。だが、その変化は更にはげしかった。まっ先に気づくのは、息つぎ場所の駅逓である。
彼らが駐ることを許された川のあちら側には、節食節衣の生活がみじめな口をあげていた。川を渡ればこちらでは、官の補給が行きとどいていた。道も築かれている。使庁のある場所は、空気の色でも見わけられるようであった。人間の匂があり、建設の気配があり、ひらけて行く土地のざわめきがほの明るく漂っている。
空はひろく、伐木のあいだに、開墾の小屋はま新しく点在して見える。つかず離れずにしていたイシカリ川にそこで別れ、古い堀に導かれるのである。乾いた粘土はかたく緊った路をつくっていた。その先の森の中がサッポロであった。
樹木をおしわけて町がつくられつつあるのだ。限りもなく青い空をうつして、澄んだ水がそこの排水溝をしずかに流れていた。トン魚がついと隠れ、タニシがもぞもぞと蓋をしめ、そこまで来ると、もはや、聞える物音は幻覚ではない。感触出来るものであった。
府と定めた土地がこれである。上からは、折柄おしよせるオロシャの勢力があり、下からは、植え移さなければならぬ過剰人口があった。アイヌの遊牧にまかせていたこの島は、外寇と植民の足だまりになるよう立てなおさなければならない。そういう地の利がこの場所であるというのだ。
東蝦夷の地に向ってはトカチ、ネムロに到る一線をひき、西はカミカワの盆地からイシカリの平原を縦に貫ぬき、二つの線の交わる肝心かなめの一点を探して、そこにサッポロの地が発見された。
漁猟を追う先住の土民にあっては、ただ単に、乾いたひろい場所でしかなかったこの地点も、「路相ひらき、中土より充実仕り候うへ、四方へ出張候形勢に相成り、東西南北とも自在に救応出来、左右前後控制仕り候ほどの形勢」を持っているものと認められた。
「イシカリより溯ること十里のツイシカリは伏見に等しき地となり、川舟三里をのぼりサッポロの地ぞ、帝京の尊きにも及ばん」と、そう唱えた旧幕の道路掛りは、未来の繁栄を空想しながらシコツ越えの山道をきりひらいた。
この刈分け道路は、西の海港オダル、ゼニバコからサッポロを通り、サッポロ川を渡船でわたって山に登り、チトセの間道を越え、東の海岸にあるユウフツの地に至る。西蝦夷地を目ざすものは向う側から歩いて三日の旅、やれやれと腰をのばすところがこのサッポロ――二人の渡し守りと、数戸の土人の家があったに過ぎない。
そこへ、でんと腰を据えたのがご一新の政府である。――土地をひらき、人民を安堵させ、北門の鎖鑰(さやく)を樹立する任務をになって遙々やって来た初代の開拓判官は島義勇。雪のなかに建府の繩ばりをしたものである。
それからのまると一年間の月日が、カヤの生えた原野に町割りをつくり、アカダモの樹間には、庁舎、倉庫を立ちならばせた。九戸しかなかった昨年までの和人部落は、この年二百十一戸の市街地をつくり、十三人に過ぎなかった住人は、一躍五十倍の六百二十四名になっていた。その他出稼ぎ人である大工、職人、人夫の数は千名を突破している。
土木と建築は夜に日をついだ。湿地を乾しあげる灌漑溝と、幅五十八間ないし二十一間という厖大な道路普請が行われた。
牢屋を界にして、北は官宅街とし、南に庶民の町屋を営ませた。蝦夷地改め北海道の主都として、面目のために、当地に自費移住するものには家作料を百両貸しあたえた。目ざとい商人は酒を売りだした。現物の俸禄米を持てあました役人は、これを二束三文に売りはらって、痛飲馬食して持てはやされた。そして、一層目ざとい商人はいち早く遊女屋を営んだ。それが、上からなされる開拓地の気分であった。官員の行動は絶対であった。あるいは官員だけが人間としての待遇を受けた。
そう云う変化に目を瞠ながら阿賀妻ははいって来たのである。
使庁の所在はたずねるまでもなかった。大友道からサッポロに辿り着いた彼は、ひろい空地のように見える草ッ原――やがてそれも道路になるのであろうが――その向うに、土塀をめぐらした白木づくりの庁舎に目を注いだ。六月の陽が照りはえた。
ま新しい冠木門の柱にさげた標札には、大きな字で開拓使と書き出されている。墨痕あざやかにのびのびと書かれた文字であった。右手には馬繋ぎ場も出来ている。飼料を入れる秣(まぐさ)の櫃(ひつ)には松やにがこびりついて瑪瑙色に光っていた。
あたりには休憩すべき民家もなかった。その上多少は気がせいていた。いよいよ乗り込んで来たのであった。すると、ひそかに想像していたよりも格段の落ちつきを持った一箇の権力が、彼の目の前に肩肘を張っているのだ。
馬繋ぎ場のわきで立ちどまった彼は、振り分け荷を土塀の下の草の上において、袴の股立をおろした。手拭を出して、裾を、特に脚絆の黄色い埃をはらいおとすのであった。緒を解いた笠を仰向けに置き、はずした手甲をその中に投げ入れた。折りかえした手拭きで顔の汗や脂をふき取った。
身支度をととのえることは、心の配備を点検することであった。荷の一つから取り出した羽織を、ぱたっと皺をたたいてひっかけた。流し目をくれながらその紐を結んだ。必要な書類をふところに収め、襟の合い目に気をくばった。きりッと出来あがった身ごしらえは、爽やかな感じとなっておのれの気持に反映して来る。それは鏡を見るよりもはるかに正確なものであった。
門を出入りする官員らの大部分は、髷を残して白足袋を穿いていた士族であった。通りがかりにじろじろと眺められる場所で、阿賀妻は恬然と用意をなしおえた。満足して、笠を小脇にかかえた彼は、正門の真ン中からゆったりと庭を横ぎって、庁舎正面の泥だらけの玄関にぬッと立った。
「おたのみ申す」
傍の部屋で、小机に凭れていたわかい番人がひょいと頭をあげた。彼は目を三角にして暫らく見あげ見おろすのであった。敵か味方か――と、それほど大げさではないが、彼の毛虫のような眉はびくびくと動いて、訪問者を利益あるものかどうかと計量している。
「おたのみ申す」と、阿賀妻は押しつけるように云った。
「どういう用向きですか?」
「判官どのにお会いしたい」
「どういう用向きですか――」と繰りかえして玄関番はのっそり立って来た。
「土地貸付けの儀にてまいった者、判官どのご多忙と云われるなら、責任ある係り役人にても結構、自分は――」
彼は名乗るのであった。
玄関番の表情にありありと下劣なものが浮んだ。表面無視しながら、阿賀妻は明瞭(はっき)り、その底意を読みとることが出来た。その男の言葉尻りにあらわれた九州なまりも気になるものであった。こういう小者の末まで、まさに跳梁しつつあるという苦い思いであった。勝ったものは、家禄を奉還して、代りに開拓地の俸給を貪っている。
しかし、立ちはだかった彼は待つ間もなかったのだ。「やア阿賀妻さんですか?」と出て来た男は「どうぞ、どうぞ」と十年の知己のように気軽にさし招いでいた。
そこは板敷きになっていたので、彼は草鞋を脱ごうとした。相手は手でおさえた。
「そのまま、そのまま」
目をあげた阿賀妻と、彼を見おろしていたその役人は、ぱったり視線がぶっつかった。紺飛白に小倉袴のその男は、ちょっとはにかむように早口に云った。
「拙者、ホリ・サカン」
どういう文字を宛てるのか判らないし、聞きかえすべきものでもなかったであろう。ただ阿賀妻は、彼の記憶には、そういう姓名はなかった。見覚えのある面貌でもなかった。
鼻をつく木の香がそこの廊下には満ちている。役人はゆっくり肩を並べて歩いた。先に立とうとしないのである。
「いかがでございましたか?――」と彼は丁重に訊ねた、「その、トウベツの土地は?」
「いや?――」
阿賀妻はそうさえぎった。それを語る前に聞いておきたいことがあった。それは、こういう親しげな応対に対する微かな警戒と、相手方の陣営に棹をさしてみることであった。
「失礼でござりますが、お初にお目にかかったとも思われませぬが――」
そこの引戸に手をかけていた役人は、そんなことはどうでも宜いのだ、というように、横眼で押えてがらりと開けた。
「ここです、どうぞ――」
先にはいれ――と譲っていた。脇差をあずけようとする阿賀妻に、彼は首をふって云った。
「かまいませんとも、ずーっとお通り下さい」
「いかに何でも、草鞋ばきでは」と阿賀妻は足許を見おろした。
「履き替えの準備なぞ、まだ、まだ」
はいって来た彼らに向って、部屋のものは一斉に目礼した。座席の配置はおのずから位置を示すものであった。堀と名乗る白面の官吏は、つかつかと進んで中央の卓に腰をおろした。顎で使丁を呼んで命じた。
「お茶を持て――判官どのがお帰りになったら知らせろ、さア、どうぞ――」
改ったあとの言葉で阿賀妻を招じた。傍らには接客用の卓が置かれてあった。その上に笠を置き、脇差を重ね、阿賀妻は衣紋をただした。
「わかっています」と、相手は力をこめて腕をふりおろした。挨拶はよろしい、はやく掛けろと云うのであった。
「それでは」と阿賀妻はまっ直ぐに腰をおろした。
「先日判官から聞いていましたので、一応は調べてみました。貴方のお見込みはいかがでした?」
土地のことを切り出しているのである。
「官には、あの土地をご存じでしたか?」と阿賀妻は云った。
思わず相手を直視するような強い言葉になっていた。彼ら布衣のものが、草木を押しわけ、密林にさまよい、あげくの果てには有能な仲間を一人犠牲にまでしてやっと探しあてた土地でありながら、それがこんなに無雑作に知られていようとは少からず心外であった。
飢えに攻め立てられた最後の二日は、屠った野獣の肉に喰くらいついた彼らであった。習慣からであろうか、何か生臭く感ずるいまいましさも、その土地の肥厚さを見れば慰められたのである。それが、最初の発見者たる彼らの手に帰するであろうという予想の下に。
「肥沃の原野と聞いておる」と、堀大主典は顎をしゃくった。
阿賀妻は使丁の出した茶をすすった。
「――と、いうのも、何も正確なことではないのだが」
やさしい眼をぱちりぱちりと瞬いて、今度は阿賀妻が聞き手にまわっているのである。掌の中で、虧(か)けた茶呑の陶器をいつくしむように撫でまわし、微笑をもって頷いていた。一ぱいの渋茶がすーっと胸をおちつけたようであった。
「はじめに目をつけるのは風の便りというものでしょうか。先年は兵部省の連中が入りこんだということで、そのものどもの見聞のまた聞きに過ぎませぬ。が、そうした痕跡はありませなんだか」
「一向にも――」と阿賀妻は低く否定した。
「それというのも、会津降伏人の処分のためであったとか」
そう云いかけた役人は、ひょいと目をあげた。別に因果の連想があったわけではなかったが、云ってしまって、はッと気づいたのである。しかし阿賀妻は既に顔をそむけていた。彼こそそれは、ぴんと来た一言であった。その同じ原野に、わずか一年ほどの時間を経てまた別の降伏人がさまよわねばならぬ時代であった。取りも直さず自分らの姿であった。
「聞かせて頂きましょう」と大主典は本論にはいった。彼は卓の上に地図をひろげて及び腰になり、青く書きこまれた川の一本を人差指でおさえて、こちらをしげしげと見つめた。
「ご許可下さいますか」
「多分――」と云って、役人は阿賀妻の顔色の動きを見つめ、語気を強めて附け足した。
「尽力いたす」
「ではお聞き下さい」
阿賀妻は腰かけをずり寄せた。足許を踏みしめて一歩々々せまるように悠然と、袱紗(ふくさ)さばきの音も見せず書類を取りだし、ひろげながら云うのであった。
「果せるかな、聞きしにまさる肥沃の土地でござった。巨木うっ蒼と天地を覆うとりました、蘆葦ろいの茫々としげれることは咫尺(しせき)を弁ぜざる有様。しかも、目の極まる限りは坦々とした原野つづき、その底を洗う清流はイシカリの支流なるわがトウベツ川でござった。水は掬(きく)してふくむべし魚介は捕えて喰うべし――でござった。この原始林を縦横するものは、熊径と鹿路のみと見受けましたが」
「山には野鳥が翔っていましょう」
「左様――」と阿賀妻はほほ笑んだ。「野には、ふくいくと匂う茸が今を限りと簇(むらが)り生えていましたな」
熊笹の芽、ワラビ、水蕗などがとりわけて目に浮ぶのである。――二日の間、その川に沿って彼らは跋渉し調査した。武器という武器を身につけた。そういう武装は、原始林にいどみ、野獣に備え、餌ものを漁る用具であった。
踏みあばいて行く川の畔の濶葉樹(かつようじゅ)つづきの森林に、彼らはふと、黒々と見える常緑の水松を発見した。くっきりと聳え、枝を張り、膨大な幹は永くつづいた生命の逞しさを語っている。期せずしてそこの下草を刈り取り、雨露をしのいだのであった。ようやく雨はやんだが、空気は重く湿っていた。濡れた生木の白い煙が、かさなった葉にしみ通っていた。
その日の夜明けであった。口を漱ぐために河原に下りていた戸田老人が喚いたものである。動物の吼ほえる声のような野太い叫びで呼んでいた。
「似とるぞ、似とるぞ」
何を寝とぼけているのか――うっかりそう思って見おろしていた彼に、戸田老人はぷりぷりして云った。
「来て見るがよい――ここの風致は、クリコマ山を見るごとしじゃ」
その山の名が彼らの胸を波立たした。倒れこんだ根木につらまって河原に降り立つ彼らに、戸田老人は、トウベツの山々を指さして云った。
「似ておるでござろうが」
「さあ?――」と一瞥した大野順平がうす笑いで云った。
「ご老体、気はたしかでしょうな」
耄(ぼ)けなさるな――と言外に含ませて、老人の幻想はむざんに壊された。彼の惨憺たる思いは、顔のかたちをありありと歪めていた。
ふいに彼はそこの水際に両手をついた。あッと云う間に股眼鏡をしていたのである。咽せるような声で下から云った。
「これが似とらんなぞと――見なされ」
阿賀妻が並んで尻を立て、同じ恰好になった。
「なるほど、なるほど――」と彼は更に錯覚を深めるように云った。
「即ちこれが、エアヒ川とでも申そうか――すると城地はどちらにござろう――童児のころもなつかしまれます」
倒置したこの地形に郷里の風景を描きだしていた。牽強附会(けんきょうふかい)と云われるかも知れないが、地勢は郷里に似ていないこともない。そして、その相似の幻想のなかに、彼らの家中を配置し、彼らによって作られる新たな村を想像していたのであろう。
「なかなかよき眺めではござらぬか」と阿賀妻は云った。
大野順平はにたりと笑っただけであった。
そして、彼らは、歩幅と綱によって測った地相を書きこんで行った。出来あがった見取図には主君の館がひとりでに中心になっていた。土地は身分の順序に割り当てていた。阿賀妻はそれをひろげて当路者に差し出していた。
「これでござる」と彼は云った。
「ふーん」と大主典はうなってそれを見つめた。一点一画にそこの状態を空想している風であった。太く呼吸を入れ頬杖をついて眺め入るのである。
「図示しましたその枝川がトウベツ川の本流と合する地点に年古りたる水松が屹立ついたし、そこを基点として――」と阿賀妻は説明した。そこから見た景色が最も郷里を髣髴させたとは云い得なかったが、
「右岸に沿うてほぼ南北、支流に沿うて東西に道路を穿ちましょう、それらの交通路に面して、各戸に割りあてる地積は、間口四十間の奥行百間、この反別は一戸当り一町三反三畝せ余となし――」
「狭い――!」
役人は叱咤するように、舌打ちするようにそう云った。
「左様――しかし」と阿賀妻も低い声にすべての神経を集めて云った。
「先ずわれらの移民は、郷里の密集生活に馴れたものでありますから、その訓練のはじめとしてはせめてこれくらいのものにしないと――なおまた、おいおい耕地の不足を来すことは明らかなことで、その場合はこの地つづきに奥行をのばして行く所存」
「それにしてもこれでは狭すぎるでしょう」と役人は顔をあげた。頬を赤くして云った。
「雄大に、野放図に、百年の計に齟齬を来さないよう充分に土地を取ってもらいたい。このサッポロをごらん下されたか? 初代の判官島団右衛門どのの計画によれば、――」
使丁があらわれて彼の勢いづいた言葉をさえぎった。
判官が見えられて、呼んでいると云うのである。
卓上の書類をわし掴みにして彼は立ちあがり、「しばらく」と云った。阿賀妻はうなずいてその後姿を見送り、急に空腹を覚えた。彼は使丁に云った。
「弁当を使わして貰いたいのじゃが」
「おや、おや、まだでしたか、どうぞ、こちらで――」
使丁室に導かれながら彼は訊ねた。
「ただいまのご仁――、お藩はどちらですかな?」
「むろん、薩摩――」
「ふーん」
阿賀妻は眉間に竪皺をよせて立ちどまった。