北海道の歴史・開拓の人と物語

北海道開拓倶楽部

 

物資の遅れ 高倉利吉の自決

 
難しい交渉になると予想された3度目の入植地変更を交渉すべく開拓使の置かれた札幌に赴いた阿賀妻謙(吾妻謙)は、開拓中判官・堀盛(堀基)から、あっけないほど簡単に変更の許可をもらいます。
 
意気揚々と厚田村聚富に引き揚げた阿賀妻謙を迎えたのは高倉利吉の自決でした。高倉利吉は岩出山伊達家移民団の物資輸送の担当でしたが、食糧を含む大方の物資を失ってしまった責任を取ったのです。
 
『当別町史』(1972)によると、明治5年3月18日、藩主邦直と共に第1回移民団は雇船「猶龍丸」に乗って宮城を出港しましたが、日高沖で霧が濃厚に立ち船は現在地を見失いました。船長は噴火湾に避難するといい、室蘭が見えた所で、ここで降りるように要求してきました。
 
吾妻らは予定通りに苫小牧沖に向かうように言いますが、船長はこれ以上の航行を認めません。やむなく室蘭で降りることになりました。こうして新たに20里の行程が加わり、厚田村聚富への到着は4月6日になりました。
 
ところが、陸行の妨げになるとして室蘭に置いてき荷物がなかなか到着しません。そこで邦直は千葉祐五郎を派遣して調査に当たらせました。聚富への荷物の搬送は箱館の山中友伯に依頼していましたが、適当な船が見つからず、まだ室蘭にありました。
 
千葉祐五郎は室蘭と函館を何度も往復してなんとか配送を手配しましたが、荷物が届いたのは7月5日でした。『当別町史』は「このように荷物が遅れたため シップの生活は一大打撃を叢り、不自由さを加えたのであった」と記しています。
 
明治5年当時は、室蘭から厚田に荷物を送るだけでもこのような苦労があったのです。
 
 

 
第二章

 
 

(五)

 
 
とっつきの小屋の外で阿賀妻は声をかけた。
 
「おらるるか?」
 
刳りぬいた窓から見える内部で、切炉を囲んでいたその家族には一種の戦慄が走ったようである。女は身をひるがえすようにきツと構えた。二人の子供が彼女の左右に取りすがった。
 
「お出かけかい?」
 
と阿賀妻はまた云った。主人の在不在をたずねていたのだ。今日の首尾を告げて喜ばしてやりたいと思い、深くも考えず通りがかりに呼びかけたのであった。
 
しかし、その女房には気軽に返事も出来ないらしい──。闇のなかに在る声の主を見据えていた。
 
「阿賀妻じゃが──」と彼は名乗った。
「ああ、あなたはご家老さまでしたか」そう云って彼女は子供をつき退けた。
 
ぴたりと正座して、その窓に対って低頭した。子供も母親に見ならうのだ。親たちの気持を素直に反射して、そこに手をついて眼を俯せた。焚火のあかりを半顔に受け、莚敷きのゆかの上でなされるこの慇懃な挨拶は、阿賀妻の眼を湿ましていた。子供をひき連れた母親であったから尚いけなかった。
 
「いや、お騒がせして相済まぬ」
「はい」と彼女は答えた。
「-夕刻から、お館さまにまいっておりました」
「すまぬ、すまぬ──」
と繰りかえして彼はそこを足ばやに離れた。
 
これほど生活は一変していても、日々の儀礼や感じ方には些さかの変化も見えなかった。人もそれに不審を抱かず、各自もそれを当然としているのであろう。窓に立って来て、彼のうしろ姿を見送っているその家族を感じながら、一刻もはやく闇にまぎれたいと思うのであった。
 
爪先あがりの路を、音もない幾つかの小屋の前を通りぬけた彼は、今なお家老に扱われるのが辛かった。
 
空腹を感じていたのである。どこかでぷんと匂った味噌汁のにおいが一層それを刺激した。するとこれらの黝(くろず)んだ小屋と同じように──ひそやかに独りで待っているであろう自分の妻を思いだしていた。
 
路は右と左に、どちらもほんの数十間の距離であった。それをどう行こうかと一瞬立ちまようのだ。左に取れば女どもが昔の称呼で云う「お館」であった。そして、それはまた今の場合、彼らの気持をささえている支柱でもあった。彼らの小屋よりは確かに上等であった。
 
そうだ、只今の限りでは、彼らの力の最善をささげたのである。自分のことは文句なしに差し措いて、こうした板囲いの家を邦夷のために建てねばならぬとし、建ててしまった。その心情が、一年半に及ぶこの不自由と困憊にも耐えたのだ。自分らの食糧や衣類はおぼつかない海運に委せた彼らが、この家の調度だけは、確実に、交互に、自分らの肩に担ってやって来たのである。
 
彼らの小屋では焚火のあかりで夜を過したが、ここには、これはこれは──と見あげる珍しいランプがともっていた。その輝きを煌々と感ずるだけでもほっと救われるのである。板のあい目や節穴から洩れる光線が、黒い闇のなかに角のように伸びているのも、見た目には心強いものであった。
 
ここは城中であり、邦夷の居室であった。親しみ深く、しかも厳粛な一廓であった。人々は事ある毎にここに集った。おのれのことと彼らのことは同じことであった。一たびは解体した一つの家中のうち、えらばれた彼らの一団の四十数名が再び結集したのであったから──みずからの意志は、取り囲んでいる中心の邦夷にすべてを任せていた。ささげた信頼は誠意となって酬われることを知っている。
 
今宵も集っていた。その気配を感ずると阿賀妻の心は子供のようにときめいた。彼のために集ったのかとさえ考えた。肥沃の地に対するあれほどの渇望を、今こそ──今日の今から医(いや)すことが出来るのだ。彼は足をはやめた。妻の姿は脳裡から消えていた。空腹さえうち忘れ得た。同じ思いで、同じ喜憂に包まれた一団でなければならない。
 
だが、すたすたとやって来た阿賀妻は何かに衝き当ったように、ふいに立ちどまった。むろん何も無かった。ただ、狭い家のなかに重なりあったような人間の息吹きが、そのとき何故か、押し殺されたように静かになっていた。響いて行った阿賀妻の跫音が、一座のものの耳をそばだてたのかも知れない。そして、その静寂は、阿賀妻の胸をひやりと撫でる何ものかであった。
 
双方の気持ががくりと喰いちがったような──何か漠然としたそういうちぐはぐな思いで、彼は次の歩を徐ろに踏みだしていた。それに似た思いは、集まった彼らのうちの幾人かにも反応していた。
 
近づいて来るものが、誰か、誰であらねばならぬか──その推察はついているくせに、故意に怪訝な眼をたかめ、それとなく脇差をひきよせて闇を睨んでいたのだ。
 
阿賀妻は切株をまわって行った。障子を取り外したあの窓の下であった。ぱッと照す光りのなかに全身をさらして、彼は屋内のものに軽く目礼した。
 
「阿賀妻どのか」と誰か云った。
「ただ今、立ち戻りました」
 
そう云った彼の声が反響もなく消えてしまった。人々は深い注意もはらわずあちら向きになってしまった。
 
彼のもたらす首尾についての集りではなかったのか。むしろその態度には、彼の帰着なぞは歯牙にもかけぬ無関心さが読みとれた。並んだ背中がそれを語っていた。たじたじとなって彼は蒼ざめたのである。
 
人々の前にあるのは屍棺(しかん)であった。北向きの壁に寄せて祀られ、包まれた白い布に、取りあえず松の葉が投げかけられていた。哀悼の思いで目を伏せていた一同であった。
 
表口までまわる僅かの間に、彼は玉目三郎を憶いだした。今朝がた狂乱の姿を見せたその若い妻が、暗い負担となって感じられて来る。生ぐさい血のりの臭う鹿や熊の生肉を食った踏査の数日は、考えただけでも嘔気を催すが、それにしても、玉目三郎だけを出してやらねばならぬ理由とはならなかった。生命をつないで立ち戻った彼らは、結果から見れば無駄なことを強いたことになる。終始一緒の行動が取れていたら、この暗い負担に翳らず済んだであろう。
 
土間に立った阿賀妻は、座敷の奥に黙然としている邦夷の眼をさがした。その一日の労苦が彼の頬をまた一削りうすくしたようであった。灯影にゆらぐ暗たんとした顔で、彼は人々の頭越しにゆっくり頷いてみせた。
 
框に腰かけて阿賀妻は草鞋を脱いだ、取った脚絆と手甲をそれぞれの紐で結えてその隅に置いた。
 
「ごめん」と人々の背を掻きわけた。彼は仏の前に出た。
 
白木の位牌には、祐筆相田清祐のあざやかな手蹟が読まれた。端座してそれを見つめていた阿賀妻は、一輯して、「されば?-」と振りかえった。
邦夷を見かえっていたのである。
 
位牌は俗名高倉利吉であった。家中のなかでも目立だない勘定方の男であった。実直さとともに老け、痩せぎすな体で、賄い方の辛労をひき受けて来たのだ。無限の実直さには何らの価値もみとめてはいなかった。
 
だから彼は、和船の廻漕問屋を恨み、函館廻送に托した食糧その他にわがことのような責任を感じたのだ。痺れをきらして調査に出かけた。それを災難とあきらめ兼ねるのは直接の当事者たる彼自身であった。小心さだけでもなかったと云える。
 
勘定方にいるそのものには最も切実に、作物の実らぬ土地に来た向後の運命が心配であった。食糧購入の方法をどう解決つけるか、狡猾な商人どもを相手にすべく、彼もまた出て行くときには死を覚悟して行ったにちがいない。そしてその覚悟に殉じなければならぬほど、彼の接した事態は悪くなっていた。
 
邦夷は遠いところを見るような眼をして静かに云った。
 
「うん、腹を切りおったのじや」
 
わッ──としわがれた咽び声が起った。死者の老いた妻がっつ伏したのであった。黒羽二重の彼女の盛装がかなしかった。日に焼け潮に吹かれたその肌身は、百姓か漁夫に近かった。眉に剃りを当てる間もなく、はげたおはぐろを染め直す余裕もなく──しかし、身なりだけはととのえねば気がすまぬ女であった。
 
喪主の長男は袴のひざに手を置いて、揺めくろうそくの灯を見つめていた。母の嘆きも聞えぬかと思われる自若とした静かさで、迎えた転変の姿を思いめぐらしているようであった。ふと彼は、鼻先にいる阿賀妻に眼をうつして云った。
 
「どうなることでしょう?」
「──」
 
阿賀妻は突嗟に返事が出来なかった。何となく一座を見まわしていた。少年の一言は、石を投げたようなものであった。目には見えぬが、それと覚られる疑心の渦はひたひたと拡がって行った。
 
高倉利吉の自決は云い換えれば飢餓の宣言であった。浅ましくそういう瀬戸に立ちいたった自身に対する悔恨が、今になってはありありと頭をもたげた。ここまで連れこまれたものに対して腹立たしかった。
 
手っ取りばやくその憤懣のやり場を探した。そして彼らは目の前に阿賀妻を眺めていた。
 
「途はおのずからひらけるものでござるよ──」と彼は少年に云った。
 
邦夷が唾をのんで、たずねた。やっと決心がついたと云う様子であった。が、それでもまだ吃った。
 
「おぬしの方は、ど、どうであった?」
「上首尾にて、判官じきじき、左右なく許可になりまして、取るものも取りあえず駈けつけましたが」
 
彼は阻まれたように思って顔をあげた。一座のもの瓦眼はぎらぎらと彼を睨んで光っていた。口をつぐまねばならぬ場合であった。
 
「今更ら、何も──」つぶやくように誰かゞそう云った。あいまいな言葉で腹一ぱいの不満をぶちまけていた。
「よいものであるか悪いものであるか──」と別の声が疑惑のかたちでそう云った。
 
そして第三の声は高倉利吉の老いたる妻であった。彼女はす入りあげて云うのだ。その大胆に決然とした反対を、彼らはだまって聞いていた。
 
「わたくしはもう嫌でざいます。菩提をすてて来ましたわたくしどもに、よいことのあろう筈はありません。たった今、今の今──郷里に帰していたゞきます。見も知らぬこのような土地で、かあいそうなこのほとけ、行くところにも行かれぬでございましょう。わたくしのこの不幸が、明日、ここにいるどなたかに廻って来ないと云われましょうか。今日、今──父、毋の地に帰りとうございます。帰りとうございます。帰していただきたいのです」
 
 

(六)

 
 
そういう女の喚きは、いろいろな思いを不意に凍えさせた。人々は一斉に、冷たい風あおりを喰ったように呼吸を飲むのであった。その不自然な静寂のなかで、つづいて起るべきことに構えていた。
 
このままでは済まないのだ。いよいよその瀬戸まで来たと思う雰囲気は、濃い霧のように捉えどころなく、しかし確実に彼らの上に蔽いかぶさっていた。
 
彼らは頭を垂れた。各人それぞれ全く異った自分だけのことを考えていた。それをどこからか覗かれているのではないかと針のような神経を立て、涸(かわ)いた気持でぬすむようにあたりを見まわした。
 
漠然と眼をあげた阿賀妻も、どうして生き抜こうかと考えていたのである。けれども彼は、その視野からついついと外れて行く幾つかの顔にも気が付いていた。すると目がはっきりして、これまで苦楽をともにした家中のものが、遠く近く、座を取り替えたように思われた。
 
取りかえしがつかないまで喋ってしまったと気づいたとき、なあに構うものか。そういう不逞ぶてしさで、投げた石の手答えを待っていた。人生に年処を経たこの女は、耳を澄し、呼吸の根をつめていた。だが、あたりは沈うつな静かさに墜ちていた。
 
さきほど確かに見えていた二三の男の不満な気持はぬけぬけとしたこの女の喚きに却って鎮まっていたのだ。すると突然彼女の不平だけが大きく、抜きさしならぬ反逆の塊りとしてそこに転っていた。まぎれもなく殿様の面前であった。
 
家中の列座した中で「おなご」が吐きちらした暴言であった。彼女は自分のやったことに気づいて、その結果に思いを馳せたとき、はじめて胸苦しくなり、心が遠くなった。ほんとうに逆上した。うつ伏していた歔欷(きょき)がはたと停って、彼女は首を立てたのだ。
 
むろん血の気は無かった。がたがたとふるえ、灰色の眼が眉とともにひきつって来た。憎さげに、歪んだり曲ったり尖ったり──うすい唇では言葉の神経と動顛の精神がた──かっているのであろう。声はひゅうひゅうと隙間風のようにかすれ、またも無意味に濁ったりした。そういう断続の叫喚をつゞけて思いきり悪く自分の身をかばいだした。
 
「どなたも何とも云うて下さいません。よるべない身を、死ねと仰言られるのでしょうか。かあいそうなうちの人。──尾羽うち枯したあわれな姿で帰って来て、ひと言、駄目であった、と。お館さまにご報告申しあげ、辿りついた我が家にうち倒れ、うちの人は、ああ──」
 
彼女はふらつく声でそれを云った。云うことによって愈々頭に血をのぼらせながら、そして、言葉は一層よろめくのであった。まだ誰も、とめようとも遮ろうともしないのであった。
 
世帯主である彼らは、こういう女の狂態に駭(おど)ろきはしなかった。驟雨のようなその昂奮の通りすぎるのを待っていた。だからもう心を留めて聞いているのではなかった。ただ彼女のむらむらした放言に自分の想念を掻きみだされ、ときどきざわめく心の中で、死んだ高倉利吉の苦衷を遠い風景のように眺めていた。
 
「聞いて下さい、皆さま。去年のその船問屋まで出かけて行って、それももう去年の話──出帆したという船のあとを慕って海辺づたいに、これこれの荷船がもしや漂着はせなんだか、と漁夫の部落々々をたずね、たずね──はい、こんなに皆さまを待たしたのでございます。それよりほかにどうする術がございましたか」
 
まッ先に咽せて、語り手は亡央の心情にせつない身悶えを覚えるのであった。この胸のいたむ感情の頂きに立つと、周囲のものは当然自分と同じ気持でなければならぬと思い詰るのだ。
 
女はときどき理性を無くした。事実振りかえる余裕もなかった。身体も硬直して反りかえっていた。あがくように、痙攣する手があたりの空気を掻きまわした。
 
喪主の高倉祐吉は、若々しい黒い眉根をしかめて憚かるように腰をあげた。度をすぎた母の嘆きについて行けず、やりきれない気持が強くなって来た。彼は、はしたない母親のこんな態度を次第に苦々しいものと思うようになっていた。
 
だがこういう席上では、許しを得ずにやたらに自分を出すものではないと考え直した。いかに身を処すかに就いて自信も経験もなかった。誰かが何とか収拾して呉れるだろう、と、凝ッと耐えて待っていた。動けば作法に外れそうであった。
 
この日から、突然ではあるが、長男に生れたものに当然予定されたこととして、責任を持たなければならぬ自分の面目を考えていた。死んだものを自然の消滅と観じて、すっと背丈がのびたような誇りも感じていたのである。ついに彼は、押しひしぐように母親の肩をおさえつけた。
 
「取りみだしは致しません、わたくしとしたことが」
 
彼女はびっくりするほど冷静な口調でそう云い、倅の手を軽く外した。若い男は肩すかしを喰わされたような気がした。思わず頬が赤く燃えるのだ。すると、見るに堪えぬ女の愁嘆は、掌をひるがえすように落ちついて来た。それを更年期にある女心の変転極りない衝動とは知り得ようわけがなかった。
 
分別ある女として居ずまいを直した母親に向い、祐吉はあげた臍のやり場がなかった。伺うように素早く一座を見まわした。しかし誰も見ていなかった。大人の世界は相変らず寂とした静かさであった。その前に、彼は何か膝まずくような重々しい気持で、湧きたつ自分の憤怒を、唇をかみつけることによってのみこんだ。そして、袴の腰板に何となく手を触れて見ながら、心の乱れを整えるため深い呼吸を丹田のあたりに溜めた。肉親であれば無視出来ず、それ故却って、あとあじの悪い反感が高くなっていた。
 
ろうそくの灯が揺れていた。浪の音がながく遠く、ざわりざわりとしぶくような響きをつたえている──おだやかな夜の海の寝息のように聞えていた。棚にある置時計がせっせと時を刻んでいた。老いたる妻女の胸にある最後の怨み言は、人は沢山いるだろうに、何故に自分の夫がこういう不幸の的にえらばれねばならぬかという愚痴であった。人の世の苦しみを自分ひとりが背負ったような大仰さであった。
 
事のない日頃は、ひそかに胸の底で、ああも思いこうも考えて済んでいたことが、こういう場合に堰をきって流れだすのであった。その折々に、腹におさめていた思案の滓(おり)が、なまなましくそのままとびだして来た。落ちついていると口で云い、自分もそうと自分できめ、しかしぼそぼそと果しなく呟きだした。
 
「郷里を出るのに、夷人の船なぞに乗せられて、よいことのあろう筈はない。覿面(てきめん)でしたのう。船は霧に包まれて坐礁しかけたり、あぶなく脱れて沖に出たらば折から暴風雨に吹き流され──うちの人も、あなたも、おお、あなたもそうでしたのう。飲み水ほしさに上陸して、すると急に西風が吹きだしたと云いよって、夷人め、けだもののように不人情な夷人め、見も知らぬ土地に水を捜しおる客を残して、そのまま出帆してしまいました。のう? 避けた港で無理やり下船させられて、あのとき、その太刀でなぜ夷人を斬りませなんだのか。こんなに男がいて、みんなそれは、自分の腹をきるための刀でございましたのか」
 
あるいはそうかも知れない。しわがれた低い声で、あやしげな抑揚をつける女の声がぶつりと消えると、そこの白々しい空虚な時間には、いやな回想が一ぱい漲るのであった。
 
アメリカ会社のフレガッ卜型外輪汽船に貨物のように積みこまれ、辿り着いたところは、冬から春に移りつつあった。渡るべき津軽の海では潮の流れが渦巻いていたのである。くろ潮とおや潮、そのしおが啀(いが)みあう太洋には濃い霧が乳色の層をつくっていた。
 
蒸汽船でさえ航行し兼ねると云う季節であった。そしてアメリカ人の無理に抵抗出来ず、彼らはムロランで下船した。陸に残された仲間のものは徒歩で日を重ねながらやって来た。
 
約束のユウフツの港を距ること二十里の手前──そのため彼らは予定した陸行の踏みわけ道をそれだけ多く歩かねばならぬ破目におちた。
 
背負える荷物にも限度があった。傭うべき駄馬の背も見つからなかった。従って、当面の必要なもの以外を和船の回漕に委ねたのも止むを得ない事情であった。唯それらの品々は、少しく遅れても何とか凌げるという程度のものであった。長い考慮の末、必要でないものはただの一品も持っていなかったからだ。
 
そのうち、中でも日とともに、最後にどうしてもあきらめ兼ねるものは、今日の日のために多大の金子を投じて求めた食糧であった。
 
待っていたのは事実である。だが、も一度問いかえされたら、一年の余も経過した今になって、誰が正気で、高倉利吉の調査を期待したというのか? それはみんな、忠実な勘定方であった彼自身のなかにあった観念だ。もう一人の彼が常にきびしく監視していた。
 
その当事者によってなされた仕事が、もしも拙く行ったならば、取りも直さずそのものが屠腹(とふく)」して詫びねばならぬとする道徳でもって。その際方針が間違っていたなぞと考えてはならぬ。仮りにも主君の恣意がそれと強要したなぞとは、それは夢にも現われてならぬ想念であった。
 
生れてはじめて鍬をとった彼らであった。おぼつかない手に痩せ土を掘りかえし、芽生えて来るであろう作物のしなびた葉に驚いた彼らは、ともに前後を錯乱していたのであろう。無為な困憊(こんぱい)のなかにいた時、まるで昨日のことででもあったように、それではひとつ調べて参りましょうと云った高倉利吉を、うん、そうだな──と、邦夷をはじめ彼らの家中はうっかり頷いてしまったのである。
 
れはどこかにそっと一縷の望みを残しておきたいという人間の弱点であった。そしてこの高倉利吉は、そこに追いこまれることをのっぴきならぬ自分の立場と思いつめた。東蝦夷からぐるりとまわって古潭の難所を抜け、こちら側までつづいているその海上に、去年の船が未だにさまよいつづけているような錯覚に取り憑かれて──
 
「ああ、あのとき出直しておけばよかったものを──」
 
残された妻は深い溜息をついてそう云った。彼女だけの重い苦しみに疲れはてて、見境も無くなった。今では袖をひいた倅を邪けんに突きとばし、彼女の呆けた頭には何か閃めくものがあったらしい。
 
「おお、さ、あなた阿賀妻さん」
 
彼女は眼をあげて云った。呼ばれたものは表情のない削げた頬をこちらに向けた。モの手ごたえのない様子に彼女は嚇(か)ッとするのだ。うすべりの耳をたたきつけて喚いた。
 
「夷人の船など傭うて来なさったのはあんたじゃった。──傑物なそうなが、あんたはまだ若い、わかいとも」
 
阿賀妻の顔にはようやく感情がただようのであった。彼は瞳を同じところにすえて、灰色がかった彼女の汚い顔を眺めていた。その女の叫ぶ百万言もみんな彼には判っていた。だから少しも聞いていなかった。過ぎ去ったどうにもならぬことはどうでもよかったのだ。表面だけふんふんと頷いて、内心ではこの先のことを考えていた。考えねばならぬ立場でもあった。
 
しかし、人々は女の雑言におどろいた。沈黙をやぶるべきであるとお互いに見あった。その頭ごしに邦夷の声が呼んでいたのである。
 
「誰か―」
 
反射的にっと立ったのは倅の祐吉であった。邦夷はそれを見て何故か顔をそむけた。そして、たまたまその視線の先にいた従僕に顎をしゃくって見せた。彼は、とぶようにその女に近づいた。かなしみに耄けてしまった初老の女は、逞ましい男にうしろをか──えられ、夜風の戸外に連れだされた。その跡にはかみしも姿の高倉祐吉がぴたりと坐っていた。手をつき頭を低げ、彼は云うのであった。
 
「お騒がせ致し、重ねがさねのご無礼──まことに」
 
彼は吃った。あとは、額を擦りつけるようなうやうやしい態度でその意を示すのであった。
 
「よい、よい」
「ご家老さまにも──」と祐吉は向きをかえた。
「ああ、わたしにもか」と阿賀妻は苦笑を浮べ、やがて今度は何か快心のことを思いついたらしく白い歯をだした。音をたてずほんとに笑っていた。
 
「おそれながら──」彼は離れている邦夷をそう呼びかけた。こちらを見かえった主君の側に人々を掻きわけて近づいて行った。
 
「失念していたわけではありませぬが──」
 
彼は袱紗(ふくさ)に包んだ墨付けを差しだした。邦夷はそれを見て、ちよッと身を退くように反りかえった。直ぐに手を出さなかった。かすかに逡巡するものを感じていた。しかしそのたじろぎはほんの一刹那であった。受け取った彼は袱紗をはらった、自分の掌のうえに折りたたんだその奉書紙をいくらか横向きに睨んでいた。
 
一座の視線は彼の手と眼に集まっていた。そうした注視を知っているのか知らないのか、がさがさと展げて、彼は誰にともなく云った。
 
「読もう」
 
彼は一句ずつ、区切り区切り脳裡に彫りつけるように口吟むのであった。ながくひっぱって日附けを読み、机の上にそれを置いたのにまだ視線を動さなかった。何か口の中にぷつぶついていた。その文言の味を噛みしめているような暫らくの時間が過ぎた。それからぬッと首を立てた。
 
「これで──」と彼は尖った咽喉ぼとけをぎくんと動かして「きまりましたぞ」と云った。
 
 
 

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