北海道の歴史・開拓の人と物語

北海道開拓倶楽部

 

開拓を進めるべきか? 宮城に戻るべきか?

 
厚田村聚富を借用した岩出山伊達家主従ですが、土地条件が悪く営農の見込みも立たないない中、家老の阿賀妻謙(史実では吾妻謙)はトウベツ原野への借地交換を開拓使と交渉して認めさせました。この間の事情を『当別町史』(1972)は次のように語っています。
 

移住者たちは開墾に精励し邦直も旧臣の作業振りを督励したので、たちまち数町歩の畑地を墾成し、作物の播種、苗物の移植等を行なった。しかしこの地は伐木して土地耕起を行ったところ、その土壌は全くの砂礫(されき)であり、地表二、三寸(6~10センチ)ほど土のように見えた黒い層は、樹木の枝や落葉が積もって腐朽した有機物であった。
 
このような土地は二~三年経過するうちに全くのやせ土と化してしまうことが衆目の認めるところであった。邦直はじめ監事役員は、このシップでは将来の見込みが立たないとし、代替地を願い出る方向へ意見がまとまっていった。
 
そのころ、開拓使石狩出張所は若生(わっかおい)町にあって、役所詰官員は少主典富田半兵衛、権少主典小野寺周記、史掌山形立右衛門外に附属二名といった面々が詰めていた。小野寺周記は遠田郡涌谷邑伊達安芸の旧臣で、小野省八郎の実兄にあたる。周記は明治3(1870)年2月、開拓使が仙台地方で買い集めた御用米を札幌へ運送し島判官まで届けたところ、突然権少主典を拝命、古宇詰となり、今年三月中札幌詰となり、開拓御用品運送方御用として石狩に出張中であった。
 
周記は同宗岩出山の人々の難儀をみて「いま、開拓使部内では石狩、札幌、空知三郡のうち開拓地に希望する者へ土地賃渡しをする計画であり、先に兵部省が会津降伏人を入地させようとして、開拓経営を中止したトウベツは有望である」と、代替適地の情報を提供したといわれている。
 
4月29日、邦直は石狩役所へ出頭し富田少主典と面会し、シププの土地地柄について将来の見通しのない旨を述べ、トウペッの開拓地拝借の儀を札幌本府へ伺い立ててくれるよう依頼した。また八幡町石狩川沿を物揚場として借用したいと申し入れた。富田は札幌へ出向いた際、以上の実状を報告するから、両嘆願の書類を提出してほしいと言うことであったので、翌30日に書類を提出した。

 
伊達家主従のトウベツ原野交換ですが、小説では主人阿賀妻謙が悲壮な覚悟で開拓使に出向いて交渉を行いますが、実際には涌谷伊達家旧臣の開拓使少主典富田半兵衛の尽力が大きかったようです。
 
さて『石狩川』では、土地交換の許認可書を胸に阿賀妻謙が聚富に戻ると勘定方の高倉利吉が行われていました。生活物資が輸送されない責任をとっての自刃でした。これにより、伊達家主従は物資を欠いたまま冬を越さなければならなくなったのです。
 
伊達家当主・伊達邦夷(史実では邦直)は当別への再入植を決断しますが、旧家臣の中からも、本当にこのまま開拓事業を続けて良いのか、との疑問が高まります。そうしたなかで、大野順平ら数名が阿賀妻謙を訪れます。開拓事業続行を翻意させるためでしょう。当別開拓の可否を巡って緊迫の会話が始まります。
 

 
第二章

 
 

(八)

 
 
粗朶がぱちぱちとはねた。
 
そこで話の糸口をやぶらなければならぬと思うのであった。炉の正前にすわっている阿賀妻に、彼らはそれぞれの位置から向い合うようなぐあいに座を定めていた。さきの御小姓組である安倍誠之助は、ことさら慓悍げに目をかがやかせ、つんと首を立てた。
 
丁度彼と阿賀妻との間にはいぶる炉火があり、すすけた自在鍵には南部鉄瓶んが吊りさがっていた。その左は、見れば心が清爽になるような銀色の白髪を、ほつれ毛もなく結いあげた相田清祐であった。右には大野順平が、幾らか持てあまし気味の堂々とした体躯をどしんと据えていた。背中をまるくした戸田老人はその陰に小さくかくれていた。
 
役のない小者らの有志と見える三四人のものは、おのずからそのうしろに身を隠すようにした。そして彼らは、生唾をのむような沈黙に堕ち、この対座の一瞬々々に双方の考えがずんずん遠ざかるような焦燥を感じだした。軽く頭をさげて阿賀妻は云った。
 
「おそろいで、めずらしいこと」
 
態度のうやうやしさにかかわらず、語気は反対に――われながら統御しかねるほどしらじらしかった。ぷつりと言葉をきったとき、唇のはじに浮んだ微笑が嘲けるような翳を浮べた。しかもひとたび、たとい心ならずにしても、面に現われた対抗する感情は取り消すことは出来ないのである。彼は膝をゆすぶって居ずまいをただし、両の袂たもとにかたく腕を組んだ。
 
「よほど重大なおはなしかと思われるが」
 
「それに就いてですが、阿賀妻さん――」
 
大野順平はふとい声を絞りだすようにそう云った。身体をゆすぶって、大きな手の甲で、出てもいない額のあせをおしぬぐった。
 
「うけたまわりましょう」
 
「――というのは、今回のトウベツ入地のことですが、あれが果して」
 
「のぞみが無いと申されるのじゃろう?」
 
そういった阿賀妻の頸すじが怒張した。
 
逆に問いかけられて大野順平は咽喉をふくらませた。言葉につまって、彼は傍を見た。その動作を追っかけ、阿賀妻の視線は安倍誠之助の面上に煎いりついていた。安倍は次第に昂奮こうふんにあからんでとうとう口をきった。
 
「――待って下さい、絶望だとは誰も云わない。また云えもしない。なぜと云うのに、それは五年十年あとのことでございましょう、成功すると云われれば、そうでしょうと申しあげるよりほか、未来のことは人間にはわからぬのです。しかし、危ぶむことは出来る。それと云うのが、こうすれば、ああすれば――と、導かれ、それをその通り、ただこれ、全幅の信頼をおいてやって来た。
 
その結果が、なにひとつとして仰せの通りに実現せず、実現しないどころか、いよいよ飢餓にさらされたとなれば、のぞみありげな勧説にも一抹の疑いを持ち、不安にかられる心情を無視出来ますまい。
 
阿賀妻さん、身どもせんえつ至極ながら敢えて云いますが、われら今その岐れ路に来ておる。心の紐帯が断たれつつあると思われる。われら先達するものの不明が今に於いて罰せられつつある。あなたは奔命に寧日なく、家中のものの心根に通じてはいない。身どもら、おぼつかなくも鍬をもち、土を掘りおこしているものにはそれがひしひしと伝わっております。
 
高倉どののことは自分どもの明日のすがたでありました。歯に衣せずに云うならば、阿賀妻さん、われら上士のものはおいおいと、火が消えるように取り残され、復讐を受けるにちがいない。身共、そういう時世になったと考えております、が」
 
ふう――と、音を立てて一呼吸入れ、彼は一座を見まわした。
 
草葺くさぶき小屋のなか一ぱいに、それらの言葉はもやもやと立て籠め、急に煙ったく呼吸ぐるしくなったようであった。垂れこめた六月の夜の、まッ黒い湿った空気が浸みこむためかも知れない。動悸を昂めた人々のいきれが濛々としていた。炉火をつくろわず、いぶるに任せていたせいもあった。しかし、それよりも、どう結着するにしろ、こんなことを論議しなければならぬ彼ら自身の身のうえが哀しかったのだ。
 
目には見えぬが、しかしながら、これほど明瞭にぞくぞくと肌身に迫って来る『この時世』。それをちらりと口にしただけで、阿賀妻の首はふいにうな垂れてしまった。すると、調子に乗って喋り立てていた安倍誠之助もがくんと躓くものを感じた。才ばしったきれいな額に二本の皺を立て、強く洟汁(はな)をかむのであった。それから、うすい唇の隅にたまった唾を拭きとった。
 
「それで」と阿賀妻は刀のさげ緒を弄び、ちッと舌を鳴らして云った。「貴殿らがその代表に頼まれて見えられたというわけか」
 
「いいえ、そういうわけではありませんが――」
 
「と云うと?」
 
「われらの立場として代弁せずにはおられませんものあって――」
 
「それは上出来、それならば大事ない――」と阿賀妻は深い眼をぱちぱちと瞬たき、溜息とともに吐きだした。
 
「やはり、予定の通りに行動いたしましょう。さよう、こういう時世ですから、土民となるためにも苦しまねばなりません。それ、秋たけた野にさまよう羽虫が、次の季節によみがえろうとするためには、今は一刻もはやく地に潜まなければ」
 
彼は手首で鼻をこすった。
 
「――――」
 
安倍誠之助はながい上体をおしのばして耳に掌をあてた。よく聞き取れなかった。――というより、訊きなおさなければ解からない呟くような言葉であった。
 
「あのときの、われら、何と云いました――一蓮托生と云いました、な」
 
「しかし、阿賀妻さん」
 
「はい」と彼は弱々しく答え、しかし目をみはって相手を眺めた。その顔が次第にこわばっていた。抜きうちを喰わされたような咄嗟の駭(おどろき)であった。阿賀妻には茶飯事のこのことが安倍誠之助を気色ばましていた。
 
安倍は何か納得出来なかったのだ。才あるこれからの男は求めて埋もれてしまうに堪えられなかった。我が身が気の毒であった。今は蒼ざめた昂奮が噴きあげるようであった。すべての道を阻んでいるのは阿賀妻一人のような憎悪をさえおぼえた。安倍は説得しなければならぬ異常な熱意に駆られ、ぎらぎら目を光らした。
 
「それは不可(いか)んでしょう」と彼はどなった。
 
心理的な不平であったものがその刹那、動かすことの出来ぬ反対の条件のように思われた。下級武士の気持にもっとも近い存在として、それに支持されたものとして、一度は衝突しなければならぬものが遂に来たと思った。
 
阿賀妻の捉みどころのないものの考え方にはしっとりした一片の人情もないと見究めた。自分はそうではない、と思うと、つねづね、なにかそぐわなかった阿賀妻の言動が今こそあばかれたと考えるのだ。彼や、彼の身近かなものが、よりより月旦(げったん)したようにあの男の底も見届けたといきまいた。信頼は彼の家柄がさせるものであった。こういう独断的な先達者にひきまわされることは、求めて破滅の道に駈けだしている迂濶千万なことであった。
 
自分のためではない――と、彼は内心ではげしく叫んだ。自分なんかどうなってもいいのだ。何も知らない家族や同輩のために自分が犠牲になって反対しなければならないのだ。鬢の毛がぶるぶる顫えて来た、握りしめた刀の鞘さやがぬるぬる汗ばむのを感じた。呼吸づかいがあらくなっていた。せき込んで、喰ってかかるように云った。
 
「阿賀妻さん!」
 
「何ですか」
 
阿賀妻の口はそう動いて、それだけで終っていた。聞きとれぬくらい低い声で、どっと押しよせて来る言葉の怒濤をくぐりぬけ、けろッとした表情であった。彼は来訪者のうえに漠とした視線を置いたが、注意がそこにあるとは見えないのだ。安倍誠之助は侮辱を感じた。かッとなって身体をゆり動かした。
 
「こん夜この時刻に、たいせつな葬いの席をはずして参上したわれらは!」。そこまで云った彼はまるで言葉に噎(む)せ返るように咳きこんだ。
 
「そ、そうでござろう」と、彼は青筋の立った顔を苦しそうにふりながらどもった。
 
「な、なぜ云わない?」と背後にいるものを詰責した。
 
「ぶ、ぶ礼講だ。みんな、云いたいことが、あるんだ。なぜ、云わない」。変らない表情で阿賀妻は云い添えた。
 
「どうぞ」
 
誰かの発言を待つためにしんと耳をすました。浜にくだける浪の音がざあッとひびいた。それが蜿蜒(えんえん)とした海岸のかなたまで、次々に、逆立ち、崩れ、消えて行くのが、なぜか漂渺(ひょうびょう)と、目に見えるようであった。するとまた、逆まく浪が目の前に立ちあがり、だアーんと砕けた。――気づいたように誰かが呟いた。
 
「別に、どうも」云うべきこともない――二人の論争は、自分の胸の右と左に過ぎないと思われて来た。ここで繰りかえすまでもなく、今日までには千度も自分の胸で追求したことであった。すべからく善処して貰えばそれで満足すべきであった。
 
「よろしく――」と、その男は顔をあげずに求められる意見を押しかえした。
 
「では、拙者、かわって」と安倍誠之助が充血した赤い顔をまッ直ぐに立てた。
 
「いかにも」
 
「冷静に、腕をつかねておられないときになっております。一刻を争わねばならないときになって――」
 
「なるほど、それで?」
 
「身どもらはどうなっても悔むことはない。年齢もわかい。どうにでもなる――けれど、女子供をひきつれ、おおぜいの家族をかかえたものはどうなりましょう? 時世は、うしなわれた家禄を復活させることはあり得まい。人は平等を宣言されたのに、しかし、われらのところでは、実のない君臣の名に縛られて、この曠野に、あてのない彷徨をつづけている。解放してやらねばなりませんよ、阿賀妻さん?」
 
「はあ」と彼は眼をあげ、「それで、それではどうなさる?」
 
「まず郷里におくりかえして」
 
「あの――郷里にな?」と阿賀妻は顔をしかめ、炉のなかにベッと唾を吐きつけた。
 
「聞くところによれば、新政府は人を欲しているとのこと。官員になることも――」
 
「ほオ、あの――あの政府でござるな?」。阿賀妻は乾いた眼をあげた。
 
「それも時世でしょう? ご家老?」
 
「それはそうだ――が」と彼は目を伏せた。
 
眉のつけ根がぴりぴりしていた。そげた肉の皮がけいれんしているのだ。とどめを刺されたようなぶきみな静寂であった。論争はそれで終ったのであった。あとは実力の争いであった。佩びた武器をひきよせて立ちあがらなければならぬ――そういう何秒かのしずかさであった。けれども阿賀妻は唇を舐めて云った。
 
「拙者はまるッきり反対じゃ。念のため」
 
突然――つむじ風におそわれたように一座がざわめいた。
 
「おぬしは?――」と、阿賀妻は間髪を入れず、ふとった大野順平をのぞきこんだ。彼はせりあげて来るような腹をゆすって上目づかいに云うのであった。
 
「所詮ほろび行く武士であるというならば、ただ、われらは、殿のお心ひとつです」
 
「ご祐筆――それなれば」と阿賀妻は相田清祐のあから顔をじっと見あげた。答えを待った。その殿はどうお考えであろう、と、一ばん側近の老人に伺っているのだ。
 
「談合せよとおおせられて」
 
「ああ、ああ、ああ――」と、悲鳴のように叫び、阿賀妻は手をふってそれから先の言葉をうち消した。両手をついた。ぽろッと涙がこぼれた。人々は度胆をぬかれ、あッけに取られた。
 
「相田どの――」と阿賀妻はむせびながら云うのであった。「おゆるし下さい、自分こと、貴殿の顔をその戸口に見た刹那、あるいは殿のお考えがそういうことに定まったか、と。ああ、よかった、よかった――安倍どの」と彼は誠之助に向きなおった。
 
「よく云って下さった。そのご親切にあまえて明一日だけこの場の決定を延ばして下さらぬか。この惜しくもない生命を拙者に預けて下さらぬか。われらの考えを一日だけおし通させて下さらぬか」
 
「二日でも三日でも」と、戸田老人の声が口ごもって聞えた。
 
「しからば――」と彼は立ちあがった。久しぶりで長刀を帯びた。みだれた襟をととのえて
 
「なん時ごろか、夜半にはまだ間があろうと思うが、誰か――」
 
戸を蹴るようにして彼の妻女が駈け込んで来たのである。多分彼女はそこで、内らの気配に立ちすくんでいたのであろう。呼ばれて自分を取りもどした。彼女はすべてを察し、上りばなで小田原提灯に灯を入れていた。
 
 
 

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