北海道の歴史・開拓の人と物語

北海道開拓倶楽部

北海道開拓の先駆者 2020/1/31

[中川町]明治27年『天塩雑記』─旧土人保護法に悪意はあったのか?(下)

 

明治27(1894)年に今の中川町あたりを担当した行政官は、アイヌの人たちを保護し、手を差し伸べるには一箇所に集まって暮らしていただきたいと考えました。そうしてアイヌに持ちかけたところ彼らが選んだ場所が、後に「旧土人保護法」による給与地となりました。しかも、中川ではそこに移って農業を行うのもいいけれど、残って漁撈を続けたいアイヌのために御料地内に保護区が設けられたのです。『中川町史』(1975)から天塩川流域のアイヌを集住させた保護区の紹介の2回目です。

 


先にご紹介した『中川町史』は次のように続きます。
 
このように、天塩川沿岸のアイヌ部落の適地として4ヵ所挙げていますが、明治32(1899)年「旧土人保護法」が公布になり、農業に従事しようとする者に土地を給与し、農具・種子などを与えることになり、明治35(1902)年内淵(名寄)に給与地が造られて、天塩川筋のアイヌが入地し、中川からも何人かが移動したといわれています。
 
しかし、本町では明治36(1903)年、御料地の貸し付けが始まりましたが、このとき御料局の派出職員であった岩田栄次郎は、アイヌの生活を考え、大富二の川沿いの土地を特別に区画割して貸与していることを考えると、強制的に内淵に集めるという方針でもなかったようです。[1]
 
明治27(1894)年の『天塩雑記』に述べられた提言を受けて、「旧土人保護法」制定時に名寄内淵にアイヌのための給与地が設けられました。『中川町史』は、そこへの移住は強制ではないと言い、その根拠として御料地内にアイヌ保護地が設けられたことを挙げています。
 
御料地とは皇室の財産です。明治23(1890)年、道内の200万haが皇室御料地に設定されました。国有地とはことなり収益を生むことを目的としていますから、農民に小作地として貸し出され、小作料収入が皇室財産になりました。中川町はこの御料地から始まったまちです。御料地については興味深い特徴がいつかありますが、それは機会をあらためたいと思います。
 
さて『中川町史』は、御料地の管理人として派遣された岩田栄次郎は、アイヌのために御料地の中から特別に土地を用意しました。もし、「旧土人保護法」による移住が強制的なものだったら、岩田栄次郎はアイヌのために特別に保護区を用意する必要はない──というのが『中川町史』の主張です。
 
岩田栄次郎が用意した保護区はどのようなものだったのでしょうか? 『中川町史』67pのアイヌの「農耕」という節に説明があります。
 
 

■農耕(67p)

三好清ーの話によると、明治35(1902)年ころのアイヌの食生活が天然の野草や魚などに頼っていたことがわかります。しかし、明治19(1886)年ころからアイヌに対する開墾耕作の農事指導が行なわれていました。ところによってはかなり成功した所もあったのです。
 
明治27(1894)年ころに書かれた思われる『天塩雑記』によれば、「土人佐々木元八は現住する土地肥沃にて、肛豆(ささげ)•南瓜(かぼちゃ)・玉蜀黍(とうもころし)・大根を試作せるも、大いに良結果を得たり」とあります。
 
佐々木元八はアべシナイのアイヌで、ポンピラでは「土人藤浦安太郎の居舎ここに在り、三畝許りの地を耕し、馬鈴翌・大根を栽培せるを見る。発育すこぶる普良なり」と書いてあります。
 
さらに、明治31(1898)年河川調査のため天塩川を下った近藤虎五郎は、著書『天塩川沿岸のアイヌ』の中でアベシナイのアイヌに触れ、次のように書いています
 
「ここにはまた馬鈴薯を植えあり、聞くところによれば野菜類を植えることを教えれば、彼等は教の如く培養し、悦びて食すれども、種子を保有することを知らざるため、一年にして種を絶やすという。ここのアイヌはウバユリと訛称する百合より製したる片栗粉の如きものを上食とする由なり」
 
いずれも農耕が行われていたことを示しております。[2]
 
と『中川町史』は『天塩雑記』に触れて、アイヌの農耕がかなりの成果を挙げていたことを紹介しています。「旧土人保護法」が目指したアイヌを農業に従事させる方針は、このような成功事例を踏まえたものと考えるべきです。
 
さて御料地管理官・岩田栄次郎が用意した土地ですが、地図と合わせて次のように紹介しています。
 
明治36(1903)年に御科地の区画測量が終了しましたが、このとき、御料局の岩田技師が「アイヌは川に出たがる」ということで、それまでアイヌ集落のあったトートムオマナイ(大富二)の土地をアイヌ保護地として選定し、特別の区画割をしてアイヌに与えました。[3]
 

中川町の御料地内のアイヌ保護区(出典①)

 
岩田栄次郎は農高を薦めるとともに、慣れ親しんだ川魚漁を行うアイヌのことを思って天塩川沿いの土地を保護地として与えたというのです。すなわち、中川町のアイヌは農耕に適した名寄内淵か、川辺にあって漁も容易な大富二かを選ぶことができました。もちろん、どちらも選ばないこともできたのです。
 

■小学校副読本の「旧土人保護法」

さて、これは私たちの子供たちが学校で学ぶ副読本『アイヌ民族:歴史と現在(小学生用)』の37p「7 北海道旧土人保護法」の一節です。この本はすべての小学校のすべての小学生に配布されています。
 
「北海道旧土人保護法」をつくりました(1899年)。その第1条は、次のようなものです。
 

 北海道のアイヌで、農業をする者には…土地をただであたえる。

 
 アイヌ民族を「助ける」と言っても、ずっと続けてきた狩りや漁が中心の生活から、農業中心の生活に変えさせようというものだったのです。しかし、「ただであたえる」と言った土地が畑に向かないところだったり、急に農業をしようとしても、うまくできなかったため、土地を取り上げられることもありました。[4]
 
しかし、すべてが副読本が言うような土地だったのではなく、中川町のようなケースもあったことを子供たちに教えるべきではないでしょうか。
 
下は副読本の同じページ対する
『アイヌ民族:歴史と現在「教師指導書」』の切り抜きです。このように黒板に書いて子どもに教えろ、と副読本は教師を指導しています。はっきり黒板に書いて〝「北海道『開拓』」で「多くのアイヌがうえ死に」と教えろ〟と言うのです。こんな授業で子供たちは故郷に誇りを持てるでしょうか? 
ところが実際にはここで見たように、アイヌの生活を少しでもよくしたい、という行政担当者の善意だってあったのです。そうしたことに一切触れずにこんな授業をするだけでは、
当サイトが指摘してきした嘆かわしい状況が生まれるのは当然のことです。
 

北海道の小学校では「旧土人保護法」の授業で
このように黒板に書いて子供たちに教えなさい、と教師を指導している(出典②)

 
学校で教えられることと裏腹に、中川町の開拓地でアイヌと入植者は非常によい関係をつくっていました。本サイトで何度か紹介してきた入植者の開拓を助けたアイヌの事例がここにもあります。『中川町史』の769pです。
  

■アイヌのダベシ

御料地の区画割がまだできていなかった未開のころ、遠別方面から山を越えてきたアイヌが、ワッカウエンペツ川と安平志内川が合流する地点でコタン(集落)をつくり、狩猟を主として暮らしていたそうです。
 
その中に「ダベシ」というアイヌがいて、入植者に、小屋のつくり方や、野草の食べ方などをなにくれとなく教え、面倒をみてくれました。
 
このダベシは、大木を倒し、中をくり抜いて丸木舟をつくったり、丸木舟のこぎ方を教えたり、またダべシ自身も、板谷方面からの物資の運搬のため、船頭として安平志内川から天塩川を往来し、帰途には味噌、塩などの生活必需品を部落の人々に供給していたのですが、ダベシは一人身であったので、ワッカウエンペツを出て後に高木菊ー(安川)宅に寝泊りするようになりました。
 
和人に対するアイヌの態度がそうであるように、ダベシも大変純朴であり、親切で、共和だけでなく、安平志内川流域の住民は大変助かったということです。[5]
 
この中で注目すべきは、開拓小屋の作り方をアイヌが指導していたことです。入植者は「拝み小屋」の後に「開拓小屋(掘立小屋)」をつくりますが、これは『開拓入門講座』の次のテーマとして予定しています。
 
それにしても、土地を奪われ、漁撈を禁じられ、同化を強要する和人に対して、こんなにも親切にするものでしょうか?
 

 


【引用出典】
[1]『中川町史』1975・中川町・47p
[2]『中川町史』1975・中川町・67p
[3]『中川町史』1975・中川町・67p
[4]小・中学生向け副読本編集委員『アイヌ民族:歴史と現在(小学生用)』2018・公益財団法人アイヌ民族文化財団・37p
[5]『中川町史』1975・中川町・769p
【図版出典】
①『中川町史』1975・中川町・67p
『アイヌ民族:歴史と現在 教師指導書』2018・公益財団法人アイヌ民族文化財団・38p
 

 
 

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